
2014年03月24日
【開催中】癒しの風景 中村憲一 写真展
みなさん、こんにちは
暖かくなったと思ったら雪が降り、
咲き出した桜も「え~!
」と思っていそうな
春の捉えどころのないお天気。
体調には充分お気を付けになってくださいね!
さて、前回のブログ更新から
若干間が空いてしまいました
そのお詫びとして、今回と次回の2回は
いつも以上に内容のぎっしり詰まった
“濃い!”レポートをお届けいたします。
日野町の文化発信基地わたむきホール虹では
時には静かに、ある時にはにぎやかに
たえずドラマチックなことが進行しているんです!
さて、その“濃い!レポート第1弾”。
まずは美術ギャラリーの新しい展示のご紹介です。
癒しの風景 中村憲一 写真展
~湖国と周辺府県の
心癒される風景~
3月20日(木)~4月6日(日)

新聞記者のお仕事を退職され、
現在は写真を撮る活動をなさっている
中村憲一さんの写真展です。
元新聞記者で、しかも美しい写真を撮られる方に、
インタビューし、お姿を撮影させて頂くというのは
正直なところ、少し緊張するお仕事でした。
しかし、「お写真を撮らせてください」との申し出を
快く引き受けてくださった後で、
中村さんはこんな風に仰いました。
「取材したり撮影するほうはいいんだけど、
されるほうは慣れてなくて、緊張するね」

(中村憲一さん。レンズから視線は外されていますが柔らかな表情を下さいました)
まず、新聞記者のお仕事をされていた時と、
退職された現在とで撮影されるお写真には
どんな違いがあるのでしょうか、とお聞きしてみました。
(中村さん)「新聞の写真というのは、人が入ってないと
だめなんですよ。例えばお祭りを取材しに行って、
山車だけ撮って、人がいなかったら変でしょう。
その写真は現役の時にもうやったのでね。
今は風景の写真を、こう、写真を見た人が癒される
ようなものを撮りたいと」
その言葉の通り、中村さんの写真は全て
人物のほとんど写っていない、風景写真です。
そこにおさめられているのは、
写真を趣味とする方々ならばおそらく
ため息をつかれるのではないかと思うような
“風景”が見せる、あまりにも美しい表情の数々。
そして、今回の展示の中でもひときわ目をひく
作品のひとつが
“日本のマチュピチュ”として話題の
兵庫県の竹田城を撮影した写真です。

(「天空の城」)
「この写真を撮るのには、5年かかりました。
5年間で25回、片道100kmの道を通った。
それで撮れなくて、また100kmを帰ってくるの(笑)
9月から10月の朝の日の出の時間を狙うんです。
はじめのほうは、反対側の山から撮ってたんだけど
逆光が石垣のほうに照って白けちゃうんで、
このアングルになった」
-この写真が撮れたときは…-
「それは、鳥肌がたちましたよ。
山を登っていって、この風景が目の前に
広がっているのを見たときには」
早朝、たったお一人でカメラを手に山を登り
燃える朝焼けと雲海をゆく巨大な船のような
古城の姿に対峙された瞬間のお気持ち…。
お話をされる中村さんの表情から
「言葉につくせないもの」が伝わってくるようでした。
5年かかって1枚の写真を撮影することもあれば
その反対にこんなこともあるそうです。

(「錦秋たけなわ」)
「これはね、(青空の)青が入っているんですけど
この場所の11月頃は、天気がだめかもと思っていて。
だけど、滞在していた時にちょうど高気圧が来ていて
この日しかないと思って行ったら、これが撮れた。
湖面も揺れなくて、鏡のようになって。
はじめて行った場所だったんで、非常にラッキーでした」
写真とは、「その時その場所、その瞬間にしかない」
事物を捉えるものだと頭ではわかっていても
実際に目の前にいつやってくるかわからないものを
常に“待つ”態勢でいるには、
物事に対する姿勢を少し変える必要があるのかも・・・。
中村さんのお話を伺いながら、そんなことを思いました。
自分の考え通りに予定を進めるのではなく
被写体が常に見せる変化のほうに
たえず自分を合わせていかなければ
いい写真は撮れないようです。

(「赤色の参道」)
「この写真は、天気の悪い時に撮ったんですよ。
“天気が悪い”というのは、嵐が来た後なんだけど。
この場所の紅葉の時期を頭に入れておいて、
下見もして、
で、紅葉の盛りの時期に嵐が来た。
翌日、朝早くまだ誰も足を踏み入れてない時間に
こういう景色が撮れるだろうと思って行ったんですね」
-では、ある程度事前に撮りたいものをイメージして…-
「そうですね。イメージもして。
ただ、自然に枯れ落ちたものではこの景色に
ならないので…。
紅葉の途中で嵐によって葉が落ちた、
しかも時間がたっていない、
その時じゃないとこの赤は撮れないです」
紅葉の盛りの葉が嵐によって強引に散らされてしまう。
そしてまだ人の起きだしていない
早朝の静まりかえった時間。
この時、この鮮烈な赤い光景を見ていたのは
神様と、カメラを手にした中村さんだけだったのかも
しれません。
「僕ね、この写真も好きなんですよ」
そう言って、中村さんが自ら指し示してくださったのが
この写真です。

(「師走の柿畑」)
「何か不思議でしょう(笑)
米原の写真なんですけど、
雪景色の中で、完熟の柿の実が、
枝にたくさんなっている。
しかも、虫に食われたり鳥につつかれてなくて
きれいなんですよ。
渋柿を、豊作で地元の人が採りきれなくて、
そのままにされていたらしいですが」

(雪の中の柿の実がきれいでつやつやしている様子が、不思議に非日常的です)
-こういった写真を地元の米原の方がご覧になると
どのような反応をされるのですか?-
「いや…。
米原に住んでいる友人が、家に飾ってくれてるんですが
近所の人も見に来てくれるらしいです。
…どうなんだろうね」
“地元の方の反応”というところで、
中村さんはとても“照れた”表情をなさいました。
そして、中村さんが労を惜しまず、
美しい風景写真を撮影される原動力となる、その
動機について、お話はゆっくりと進んでいきました。
「何というか、こういう、地元の景色だとか
有名な場所で、“行ったことがある”景色を見ると
人は何か感じてくれると思うんです。
『ここはこんな綺麗な場所だったか』とか…。
それが“癒し”につながるんじゃないかと。
実は私の娘が、フルートで音楽療法のようなことも
しているんです。
それで、自分も写真でそんなことができないかと
思ってね」

美しい景色を見て癒される。
雑誌やテレビの特集でも、そんなタイトルをよく目には
しますが、
中村さんが写真にこめられたものを伺っているうちに
最近読んだ本に書かれてあったことを思い出しました。
古い漢語では、人々がその「かけがえのなさ」に
気づかずにいるものに注意を促し、
その価値を再認識させる言葉の働きを
「祝」というのだそうです。
また、古代の中国では、病気になったとき、
大河の流れる凄まじい姿、花の咲き乱れる姿、
そんなこの世界の美しい風景を歌い上げることで
病を治すという方法があったそうです。
この世界が時折見せてくれる、
言葉で表現できないような美しい景色。
誰もが簡単に見られるわけではないそんな光景を
フレームにおさめ、全ての人とわかち合いたいと
願われる中村さんの写真には、
言葉のおおもとの意味での
「癒し」が息づいているのかもしれません。
この春はわたむきホール虹の美術ギャラリーにて
中村さんのカメラが捉えた美しい風景に
ぜひ、目と心を預けに来ていただきたいと思います!

(会場は、中村さんの写真に囲まれてリラックスできるレイアウトになっていますよ)
(3月25日(火)、4月1日(火)は休館日です)

暖かくなったと思ったら雪が降り、
咲き出した桜も「え~!

春の捉えどころのないお天気。
体調には充分お気を付けになってくださいね!
さて、前回のブログ更新から
若干間が空いてしまいました

そのお詫びとして、今回と次回の2回は
いつも以上に内容のぎっしり詰まった
“濃い!”レポートをお届けいたします。
日野町の文化発信基地わたむきホール虹では
時には静かに、ある時にはにぎやかに
たえずドラマチックなことが進行しているんです!
さて、その“濃い!レポート第1弾”。
まずは美術ギャラリーの新しい展示のご紹介です。
癒しの風景 中村憲一 写真展
~湖国と周辺府県の
心癒される風景~
3月20日(木)~4月6日(日)

新聞記者のお仕事を退職され、
現在は写真を撮る活動をなさっている
中村憲一さんの写真展です。
元新聞記者で、しかも美しい写真を撮られる方に、
インタビューし、お姿を撮影させて頂くというのは
正直なところ、少し緊張するお仕事でした。
しかし、「お写真を撮らせてください」との申し出を
快く引き受けてくださった後で、
中村さんはこんな風に仰いました。
「取材したり撮影するほうはいいんだけど、
されるほうは慣れてなくて、緊張するね」

(中村憲一さん。レンズから視線は外されていますが柔らかな表情を下さいました)
まず、新聞記者のお仕事をされていた時と、
退職された現在とで撮影されるお写真には
どんな違いがあるのでしょうか、とお聞きしてみました。
(中村さん)「新聞の写真というのは、人が入ってないと
だめなんですよ。例えばお祭りを取材しに行って、
山車だけ撮って、人がいなかったら変でしょう。
その写真は現役の時にもうやったのでね。
今は風景の写真を、こう、写真を見た人が癒される
ようなものを撮りたいと」
その言葉の通り、中村さんの写真は全て
人物のほとんど写っていない、風景写真です。
そこにおさめられているのは、
写真を趣味とする方々ならばおそらく
ため息をつかれるのではないかと思うような
“風景”が見せる、あまりにも美しい表情の数々。
そして、今回の展示の中でもひときわ目をひく
作品のひとつが
“日本のマチュピチュ”として話題の
兵庫県の竹田城を撮影した写真です。

(「天空の城」)
「この写真を撮るのには、5年かかりました。
5年間で25回、片道100kmの道を通った。
それで撮れなくて、また100kmを帰ってくるの(笑)
9月から10月の朝の日の出の時間を狙うんです。
はじめのほうは、反対側の山から撮ってたんだけど
逆光が石垣のほうに照って白けちゃうんで、
このアングルになった」
-この写真が撮れたときは…-
「それは、鳥肌がたちましたよ。
山を登っていって、この風景が目の前に
広がっているのを見たときには」
早朝、たったお一人でカメラを手に山を登り
燃える朝焼けと雲海をゆく巨大な船のような
古城の姿に対峙された瞬間のお気持ち…。
お話をされる中村さんの表情から
「言葉につくせないもの」が伝わってくるようでした。
5年かかって1枚の写真を撮影することもあれば
その反対にこんなこともあるそうです。

(「錦秋たけなわ」)
「これはね、(青空の)青が入っているんですけど
この場所の11月頃は、天気がだめかもと思っていて。
だけど、滞在していた時にちょうど高気圧が来ていて
この日しかないと思って行ったら、これが撮れた。
湖面も揺れなくて、鏡のようになって。
はじめて行った場所だったんで、非常にラッキーでした」
写真とは、「その時その場所、その瞬間にしかない」
事物を捉えるものだと頭ではわかっていても
実際に目の前にいつやってくるかわからないものを
常に“待つ”態勢でいるには、
物事に対する姿勢を少し変える必要があるのかも・・・。
中村さんのお話を伺いながら、そんなことを思いました。
自分の考え通りに予定を進めるのではなく
被写体が常に見せる変化のほうに
たえず自分を合わせていかなければ
いい写真は撮れないようです。

(「赤色の参道」)
「この写真は、天気の悪い時に撮ったんですよ。
“天気が悪い”というのは、嵐が来た後なんだけど。
この場所の紅葉の時期を頭に入れておいて、
下見もして、
で、紅葉の盛りの時期に嵐が来た。
翌日、朝早くまだ誰も足を踏み入れてない時間に
こういう景色が撮れるだろうと思って行ったんですね」
-では、ある程度事前に撮りたいものをイメージして…-
「そうですね。イメージもして。
ただ、自然に枯れ落ちたものではこの景色に
ならないので…。
紅葉の途中で嵐によって葉が落ちた、
しかも時間がたっていない、
その時じゃないとこの赤は撮れないです」
紅葉の盛りの葉が嵐によって強引に散らされてしまう。
そしてまだ人の起きだしていない
早朝の静まりかえった時間。
この時、この鮮烈な赤い光景を見ていたのは
神様と、カメラを手にした中村さんだけだったのかも
しれません。
「僕ね、この写真も好きなんですよ」
そう言って、中村さんが自ら指し示してくださったのが
この写真です。

(「師走の柿畑」)
「何か不思議でしょう(笑)
米原の写真なんですけど、
雪景色の中で、完熟の柿の実が、
枝にたくさんなっている。
しかも、虫に食われたり鳥につつかれてなくて
きれいなんですよ。
渋柿を、豊作で地元の人が採りきれなくて、
そのままにされていたらしいですが」

(雪の中の柿の実がきれいでつやつやしている様子が、不思議に非日常的です)
-こういった写真を地元の米原の方がご覧になると
どのような反応をされるのですか?-
「いや…。
米原に住んでいる友人が、家に飾ってくれてるんですが
近所の人も見に来てくれるらしいです。
…どうなんだろうね」
“地元の方の反応”というところで、
中村さんはとても“照れた”表情をなさいました。
そして、中村さんが労を惜しまず、
美しい風景写真を撮影される原動力となる、その
動機について、お話はゆっくりと進んでいきました。
「何というか、こういう、地元の景色だとか
有名な場所で、“行ったことがある”景色を見ると
人は何か感じてくれると思うんです。
『ここはこんな綺麗な場所だったか』とか…。
それが“癒し”につながるんじゃないかと。
実は私の娘が、フルートで音楽療法のようなことも
しているんです。
それで、自分も写真でそんなことができないかと
思ってね」

美しい景色を見て癒される。
雑誌やテレビの特集でも、そんなタイトルをよく目には
しますが、
中村さんが写真にこめられたものを伺っているうちに
最近読んだ本に書かれてあったことを思い出しました。
古い漢語では、人々がその「かけがえのなさ」に
気づかずにいるものに注意を促し、
その価値を再認識させる言葉の働きを
「祝」というのだそうです。
また、古代の中国では、病気になったとき、
大河の流れる凄まじい姿、花の咲き乱れる姿、
そんなこの世界の美しい風景を歌い上げることで
病を治すという方法があったそうです。
この世界が時折見せてくれる、
言葉で表現できないような美しい景色。
誰もが簡単に見られるわけではないそんな光景を
フレームにおさめ、全ての人とわかち合いたいと
願われる中村さんの写真には、
言葉のおおもとの意味での
「癒し」が息づいているのかもしれません。
この春はわたむきホール虹の美術ギャラリーにて
中村さんのカメラが捉えた美しい風景に
ぜひ、目と心を預けに来ていただきたいと思います!

(会場は、中村さんの写真に囲まれてリラックスできるレイアウトになっていますよ)
(3月25日(火)、4月1日(火)は休館日です)