
2015年02月28日
【開催中】一居 孝明 洋画展
みなさん、こんにちは!
ここ数回分のブログの書き出しですが、
表現の違いはあれど大体みんなどこか
「寒くて憂鬱
」という意味の文章に
なっていたことに気づき、反省しております。
冒頭からこの元気のなさ、失礼致しました。
でももう春!陽ざしの暖かな日が2日も続けば
ついこの間までの寒さのことを忘れてしまいます。
時間の流れと変化に瞬間ごとに対応していく
人の心と体は本当に不思議です。
さて、今回もわたむき美術ギャラリーの話題。
まさに「時間の流れ」についてのタイトルがついた
絵画展が開催中です。
一居 孝明 洋画展
~過去・現在・未来を
多視点から見つめて~
2月26日(木)~3月15日(日)

長浜市在住の画家
一居孝明(いちいたかあき)さんによる絵画展です。
一居さんのお写真はこちら。

一居さんは、あの佐藤忠良さんや舟越保武さん、
丹下健三さんも所属していたという、
「新制作協会」の会員であり、
数々の受賞歴をお持ちです。
金属の板やパイプを大きな画面全体に配し
細部まで緻密に描きこまれる作風にも圧倒され、
今回お会いする前は、何をお聞きしようか
正直なところ、多少緊張気味で考えていました。
しかしその緊張は、一居さんがお話をされる際の
深く落ち着いたお声を聞くうちに気が付けばなくなり、
ただ絵を間に置いて、ちょっとした宝探しのように
自分の心の中に埋もれたものを探す時間となりました。
それでは、そのお話の中身をご覧下さい。

―画の中のメタリックなものの印象が強いのですが、
このモチーフはずっと描かれているのですか?
「そうですね…これはここ15、6年ほどずっと
モチーフにしています。
それ以前は違うものも描いていたんですよ」
―そうなんですか! ちなみにどんなものを…。
「わりと抽象的な世界を描いていました。
抽象画ですね」
現在描かれているこのモチーフの形を
はっきりと意識されたのは、
阪神大震災が起こった時期だったそうです。
「それ以前もこんな感じのものは
やってたんですけどね。
『ゴミ』を、描いていたんです。
それこそゴミの集積場とか、車のスクラップとかを。
阪神大震災が起きる前にもオウムの事件があったり
世の中の空気が澱んでいた。
ゴミを黄金色に塗ったのは、
そんな感じを皮肉るというかね。
阪神大震災が起こって、
モチーフとしてより意識するようになりました」

阪神大震災が起こる前後の
日本全体が閉塞感に満ちていたような空気のことは
今でも鮮明に思い出せる気がします。
「今も、不安な時期ですよね。
今回のタイトルは
『過去・現在・未来を多視点から見つめて』
としていますが、
時代のそんな不安を見つめたとき、
自分のこういう表現ははまるのではないかと
思ったりして」
今のこの時代を表すイメージとして、
画面全体を無言で埋める黄金色の廃材。
しかし、一居さんの作品の前に実際に立ったとき
画から問題を鋭く突きつけられているようだったり
画が観る者を選んでいるような感じがすることはなく
むしろ、画の世界に誘い込まれているような
何か「親しい」感じをおぼえます。
これは、実際に会場で画を前にされた時に
はじめて実感していただける感覚かもしれません。
たとえば…。
―作品をみていくと、時々画面の中に
マスキングテープや荷札があったりするのですが…。


「こういうものを画の中に入れることで、
自分が関わっている瞬間の位置づけを
作品に入れ込めるというか…。
トリッキーさ、ある種の嘘の世界、
画面の中にそんなたくらみも入れたいと
思っているんです」
面白い話があってね、
と一居さんはお話を続けられます。
「僕が入っている新制作協会の
メインの展覧会が東京であったんですが、
そこに観にこられた方が、僕の絵をじっと見てね。
しばらくすると周りを確認して、誰も見てないと思われたのか
このテープを、そっとはがそうとしてくれるんですよ(笑)
それを僕は後ろから見てて『やった!』と思ってる(笑)」

(さて、お気づきになった方、そうでない方、両方いらっしゃるかもしれません。このテープも荷札も、画の上に後から貼り付けたものではなく、一居さんの筆による「絵」なんです!
驚くほど高い技術で画に仕掛けられた、なんともチャーミングないたずら。)
最初は遠くから全体を眺めて圧倒され、
しかし画家の仕掛けた“いたずら”によって
近寄り難いように見えた画と急に距離が縮まってしまう。
そしてあらためて近くで一居さんの画を見てみると
金属の廃材の中に、「時間の意味」を喚起させる
様々なものが散りばめられているのが見つかるのです。


今回のインタビューには、展覧会を企画したスタッフも同席していました。
(スタッフ)「この画を最初に見たときは、
“過去に置いてきた大切なもの”が
描いてあるのかな、というイメージだったんですよ。
でも、お話を伺っているとそれだけじゃなくて…」
一居さんは、「時間を作品に描きこむこと」について
こんな風に仰っています。
「たとえば今こうしてしゃべったことも、
もう既に、どんどん過去になっていきますね。
そして頭の中には、今これからしゃべろうとする
未来のことがあって…。
そういう瞬間的な過去・現在・未来と、
長いスパンでの過去・現在・未来を両方、
作品の中に入れてみたいんです」

(画の上部のタイプライターと、下部にあるMacのキーボードが、過去と現代をそれぞれ語っています。
「息子が小さいときに遊んでいたファミコンを、描いたこともあるんですよ」)
一居さんとギャラリーを巡りながらお話をして、
私達スタッフがたぶん最も多く画の前で発した言葉は
「なつかしい」でした。
画の中に配された「時間」を語る様々なものたちが
自分の中にとめどなく積もり続ける「時間」のことを、
いつの間にか思いださせてくれたようです。
“「画に描かれた、この場所はどこですか?」と
質問されることはないですか”とお聞きしてみました。
「どこっていうのは…ないですね。
自分の夢の中、国籍も不明な場所。
どこっていう固有名詞がない場所です」

(一居さんの画のところどころに登場するスズメは、一居さんご自身を表しているのだそうです。いろいろな方向を向いているのは未来を見たり、過去を見たりしているということ。この画の世界には他の鳥でなく、なぜかスズメがぴったり!と思います)
今後もしばらくこういう感じの作品を作っていくと思うが、
タイプライター等の具体的なものを描きこむなど
説明的な要素はなくなっていくかもしれないと
予測しています…と、仰る一居さん。
最後に、会場にいらっしゃる方へ
メッセージをいただきました。
「難しい目で見ずに、
気楽に素直に見てほしいなと思いますね。
この画はこんな画だとか、こんな事を描いているとか
枠を設けて見るのではなくて、
素直な気持ちで見てもらえるといいなと思います」

私達は毎日たくさんのことを見聞きし、
新しい一日を迎える度にそれを忘れていきます。
時間をとどめておくことは不可能ですが
そのくりかえしをどこか、
寂しく思う気持ちがあるようにも感じます。
“画の世界にも流行があります。
でも流行に流されないように、
独自の表現を貫くことが一番大事。”
そう仰る一居さんの画には、
現実の表面を忙しく流れていく時間ではなく
自分自身の内側に存在する時間の風景に
観る者を立ち返らせてくれる力があるようです。
冬から春へ。季節が移る時期にぜひご覧ください。

(古いカメラが描かれています。「父親の形見です」とのこと。)
(3月3日(火) 3月6日(金) 3月10日(火)は
休館日です)
ここ数回分のブログの書き出しですが、
表現の違いはあれど大体みんなどこか
「寒くて憂鬱

なっていたことに気づき、反省しております。

冒頭からこの元気のなさ、失礼致しました。
でももう春!陽ざしの暖かな日が2日も続けば
ついこの間までの寒さのことを忘れてしまいます。
時間の流れと変化に瞬間ごとに対応していく
人の心と体は本当に不思議です。
さて、今回もわたむき美術ギャラリーの話題。
まさに「時間の流れ」についてのタイトルがついた
絵画展が開催中です。
一居 孝明 洋画展
~過去・現在・未来を
多視点から見つめて~
2月26日(木)~3月15日(日)

長浜市在住の画家
一居孝明(いちいたかあき)さんによる絵画展です。
一居さんのお写真はこちら。

一居さんは、あの佐藤忠良さんや舟越保武さん、
丹下健三さんも所属していたという、
「新制作協会」の会員であり、
数々の受賞歴をお持ちです。
金属の板やパイプを大きな画面全体に配し
細部まで緻密に描きこまれる作風にも圧倒され、
今回お会いする前は、何をお聞きしようか
正直なところ、多少緊張気味で考えていました。
しかしその緊張は、一居さんがお話をされる際の
深く落ち着いたお声を聞くうちに気が付けばなくなり、
ただ絵を間に置いて、ちょっとした宝探しのように
自分の心の中に埋もれたものを探す時間となりました。
それでは、そのお話の中身をご覧下さい。

―画の中のメタリックなものの印象が強いのですが、
このモチーフはずっと描かれているのですか?
「そうですね…これはここ15、6年ほどずっと
モチーフにしています。
それ以前は違うものも描いていたんですよ」
―そうなんですか! ちなみにどんなものを…。
「わりと抽象的な世界を描いていました。
抽象画ですね」
現在描かれているこのモチーフの形を
はっきりと意識されたのは、
阪神大震災が起こった時期だったそうです。
「それ以前もこんな感じのものは
やってたんですけどね。
『ゴミ』を、描いていたんです。
それこそゴミの集積場とか、車のスクラップとかを。
阪神大震災が起きる前にもオウムの事件があったり
世の中の空気が澱んでいた。
ゴミを黄金色に塗ったのは、
そんな感じを皮肉るというかね。
阪神大震災が起こって、
モチーフとしてより意識するようになりました」

阪神大震災が起こる前後の
日本全体が閉塞感に満ちていたような空気のことは
今でも鮮明に思い出せる気がします。
「今も、不安な時期ですよね。
今回のタイトルは
『過去・現在・未来を多視点から見つめて』
としていますが、
時代のそんな不安を見つめたとき、
自分のこういう表現ははまるのではないかと
思ったりして」
今のこの時代を表すイメージとして、
画面全体を無言で埋める黄金色の廃材。
しかし、一居さんの作品の前に実際に立ったとき
画から問題を鋭く突きつけられているようだったり
画が観る者を選んでいるような感じがすることはなく
むしろ、画の世界に誘い込まれているような
何か「親しい」感じをおぼえます。
これは、実際に会場で画を前にされた時に
はじめて実感していただける感覚かもしれません。
たとえば…。
―作品をみていくと、時々画面の中に
マスキングテープや荷札があったりするのですが…。


「こういうものを画の中に入れることで、
自分が関わっている瞬間の位置づけを
作品に入れ込めるというか…。
トリッキーさ、ある種の嘘の世界、
画面の中にそんなたくらみも入れたいと
思っているんです」
面白い話があってね、
と一居さんはお話を続けられます。
「僕が入っている新制作協会の
メインの展覧会が東京であったんですが、
そこに観にこられた方が、僕の絵をじっと見てね。
しばらくすると周りを確認して、誰も見てないと思われたのか
このテープを、そっとはがそうとしてくれるんですよ(笑)
それを僕は後ろから見てて『やった!』と思ってる(笑)」

(さて、お気づきになった方、そうでない方、両方いらっしゃるかもしれません。このテープも荷札も、画の上に後から貼り付けたものではなく、一居さんの筆による「絵」なんです!
驚くほど高い技術で画に仕掛けられた、なんともチャーミングないたずら。)
最初は遠くから全体を眺めて圧倒され、
しかし画家の仕掛けた“いたずら”によって
近寄り難いように見えた画と急に距離が縮まってしまう。
そしてあらためて近くで一居さんの画を見てみると
金属の廃材の中に、「時間の意味」を喚起させる
様々なものが散りばめられているのが見つかるのです。


今回のインタビューには、展覧会を企画したスタッフも同席していました。
(スタッフ)「この画を最初に見たときは、
“過去に置いてきた大切なもの”が
描いてあるのかな、というイメージだったんですよ。
でも、お話を伺っているとそれだけじゃなくて…」
一居さんは、「時間を作品に描きこむこと」について
こんな風に仰っています。
「たとえば今こうしてしゃべったことも、
もう既に、どんどん過去になっていきますね。
そして頭の中には、今これからしゃべろうとする
未来のことがあって…。
そういう瞬間的な過去・現在・未来と、
長いスパンでの過去・現在・未来を両方、
作品の中に入れてみたいんです」

(画の上部のタイプライターと、下部にあるMacのキーボードが、過去と現代をそれぞれ語っています。
「息子が小さいときに遊んでいたファミコンを、描いたこともあるんですよ」)
一居さんとギャラリーを巡りながらお話をして、
私達スタッフがたぶん最も多く画の前で発した言葉は
「なつかしい」でした。
画の中に配された「時間」を語る様々なものたちが
自分の中にとめどなく積もり続ける「時間」のことを、
いつの間にか思いださせてくれたようです。
“「画に描かれた、この場所はどこですか?」と
質問されることはないですか”とお聞きしてみました。
「どこっていうのは…ないですね。
自分の夢の中、国籍も不明な場所。
どこっていう固有名詞がない場所です」

(一居さんの画のところどころに登場するスズメは、一居さんご自身を表しているのだそうです。いろいろな方向を向いているのは未来を見たり、過去を見たりしているということ。この画の世界には他の鳥でなく、なぜかスズメがぴったり!と思います)
今後もしばらくこういう感じの作品を作っていくと思うが、
タイプライター等の具体的なものを描きこむなど
説明的な要素はなくなっていくかもしれないと
予測しています…と、仰る一居さん。
最後に、会場にいらっしゃる方へ
メッセージをいただきました。
「難しい目で見ずに、
気楽に素直に見てほしいなと思いますね。
この画はこんな画だとか、こんな事を描いているとか
枠を設けて見るのではなくて、
素直な気持ちで見てもらえるといいなと思います」

私達は毎日たくさんのことを見聞きし、
新しい一日を迎える度にそれを忘れていきます。
時間をとどめておくことは不可能ですが
そのくりかえしをどこか、
寂しく思う気持ちがあるようにも感じます。
“画の世界にも流行があります。
でも流行に流されないように、
独自の表現を貫くことが一番大事。”
そう仰る一居さんの画には、
現実の表面を忙しく流れていく時間ではなく
自分自身の内側に存在する時間の風景に
観る者を立ち返らせてくれる力があるようです。
冬から春へ。季節が移る時期にぜひご覧ください。

(古いカメラが描かれています。「父親の形見です」とのこと。)
(3月3日(火) 3月6日(金) 3月10日(火)は
休館日です)
2015年02月11日
【開催中】仁志出敬子 コンピューター・グラフィック展
みなさん、こんにちは!
いつの間にか節分が終わり、
“二十四節気”でいえば
「立春」を迎えているはずの今日この頃。
なのに…寒い!寒いです
春はすぐそこ、地面のすぐ下まで来ているのに。
冬の少しだけ寂しい気分と、
春を待ち望むわくわくした気持ちが
入り混じる今の季節の空気感に
とてもよく似合う展覧会をご紹介します。
仁志出敬子
コンピューター・グラフィック展
~心の中の生き物たち~
2月5日(木)~2月22日(日)

動物たち(時々擬人化されていたりします)や、
現実にあるもののようで
どこか非現実的な物たちを、
優しい色使いとユニークな画面構成で描く
仁志出敬子さんの展覧会です。
仁志出敬子さんはこの方です。

まず、「コンピューター・グラフィック」というと、
もしかすると緻密で、メカニックで、先鋭的な作風を
イメージされる方もいらっしゃるかもしれませんが
仁志出さんの作品は「コンピューター」を
意識させることのない、温かで優しい印象です。
「そうですね、わざと手描きっぽくしている
ところはあります。
パソコンでなめらかな線を描くというのは、
相当熟練していないとできない技術ですね」
コンピューターを習い始めたのは、今から18年前という
仁志出さん。
デザインやテキスタイルのお仕事をされていた関係も
かねて習得された技術ですが、
「コンピューター」を使って作品制作をするということに
特別な意識はなく、
ただ制作に必要な道具として捉えておられるようです。
「パソコンは機械の一種ですよね。
いびつなものを修正できたりもしますが、
パソコンだからといってきちっと線が描けるわけでは
ないので…。
作品をご覧になった方に『切って貼ったんか?』と
訊かれることもあるんですけど(笑)
私自身はこういう描き方が好きなので」
そして、実際に作品を見ていただくと
否応なく惹きつけられるのが、
そこに描かれた、可愛くて、シュールで
不思議な世界です。

「よく『この絵には何か物語があるの?』って
訊かれたりするんですけど、
物語があって、それに絵をつけているんじゃないんです。
最初に視覚的なイメージがあって、絵を描きます。
ストーリーは後からついたりすることもありますが」
“こういうものを描こう”と、頭で考えて決めるより
心に浮かんだ視覚的なイメージを着想にされるという
仁志出さん。
たとえば、こちらの「心の中の生き物」というタイトルが
ついた一連の作品は、
浮かんだイメージをクロッキー帳に描きためておき、
何年か経って掘り起こしたものが描かれています。

物語から生まれる絵ではない。
でも、
「この絵は何かの物語を表わしているんじゃないか…」
そう推測したい方の気持もわかる気がする
というぐらい、
仁志出さんの作品は本当に、
見れば見るほどユニークで興味がつきません。
描かれている動物や人物が、ファンタジックでありながら
互いに絶妙な距離感を保っていることで生まれる
飄々としたユーモアのセンス。
現実からすれば突飛な光景が描かれているのに
絵の中の生き物たちは「いたって平常心」であることが
昔読んだ
“不思議の国のアリス”の世界を思い出させます。

―(笑)面白いです。なぜ動物たちはこのような形に…。
「“メビウスの輪”って、立体的に面白いと思って。
あと、“クラインの壷”ってありますよね。
そういう感じを作品に取り入れたくて。
輪の中に描いたのは、まあ
“うさぎとねこが永遠に追いかけっこをしている”
というか…(笑)」

―これは、左下の人物が“狼男”に
変身している最中かなと思ったのですが。
「いえ、イメージでは
“ピーターパンが影を身に着けている”
みたいな感じだったんですけど…」
―影ですか。そのただならぬ様子に
周りの動物たちも反応していますね。

―木になっている人物もインパクトがありますが、
周りに描かれてあるものも不思議です。
室内は夜のようなのに、窓の外は昼に見えたり。
あと、右側の大きなものさしとか、
左の壁から出ている足とか。
「そうですね…ものさしはあの、やはり背が伸びるということで…(笑)足は、ここにピンクのものが欲しかったんですけど、こう、足があったほうがいいかな…?と(笑)」
―(笑)
派手な見た目で注意をひく形ではなく
画面の細部に目をこらすほど、
じわじわとおかしさがこみあげてくるユーモアを
そなえた仁志出さんの作品たち。
「おかしいですよね。描いているときは別に
笑いを取ろうと思って描いていないんですけど…。
でも、自分でも笑えてきます(笑)」
コンピューターを使用し、独自の世界を描く
仁志出さんの作品群は、
わかりやすい形で「ジャンル分け」ができる
特徴をもたないため
これまで、様々な形に受け取られてきたそうです。

「『イラストレーターですか?』と訊かれることも
あるんですけれど、
“イラストレーター”の定義がわからなくて。
辞書で引くと、
“絵本の挿絵を描く人”“商業的な絵を描く人”
というような意味があったのですが、
この作品は、売るための絵ではないので…」
また、絵の中に登場する動物や人物やものの
大きさが現実とは異なっていたり、
いわゆる「遠近法」に沿っているといえない形で
あることについて、仁志出さんは、
「みんな対等に描いていて、絵の中のどれを強調
したくてというのが、あまりないんです」
と言われます。
あくまで私個人の感想ですが、
その感覚は、仁志出さんがデザインや
テキスタイルの制作を手がけられてきたことに
関係があるのかもと思いました。

最後に、来場される方にメッセージをいただきました。
「具体的で、でも写実的ではないという世界ですので
現実の固定観念にとらわれないで見てほしいと思います。
展示のタイトルにもある“心の中の生き物”として」
インタビュー中の仁志出さんの言葉に
反するようですが
私が仁志出さんの作品を見て連想したものは
「昔の児童書の挿絵作家の作品」でした。
デザイン性に優れながら、温かさとユーモアをそなえ、
決して「物語の説明」にならない豊かな挿絵の世界。
その絵は、読み手の想像力を縛るものではなく、
絵があることで物語は謎を深め、奥行きを増します。
観る側が心を開いてじっと見つめた分だけ、
中にある豊かな世界を教えてくれる、
そんな仁志出さんの作品世界をぜひ会場で
心ゆくまで時間をかけて
ご覧になっていただきたいです。

(仁志出さんの旦那様は2013年にこのギャラリーに出展していただいた仁志出孝春さんです。「ご主人様は作品を見て何と言われますか?」との質問に「こんな発想がいったいどこから来るのか不思議だ、って言います」)
(2月12日(木)・2月17日(火)は休館日です)
いつの間にか節分が終わり、
“二十四節気”でいえば
「立春」を迎えているはずの今日この頃。
なのに…寒い!寒いです

春はすぐそこ、地面のすぐ下まで来ているのに。
冬の少しだけ寂しい気分と、
春を待ち望むわくわくした気持ちが
入り混じる今の季節の空気感に
とてもよく似合う展覧会をご紹介します。
仁志出敬子
コンピューター・グラフィック展
~心の中の生き物たち~
2月5日(木)~2月22日(日)

動物たち(時々擬人化されていたりします)や、
現実にあるもののようで
どこか非現実的な物たちを、
優しい色使いとユニークな画面構成で描く
仁志出敬子さんの展覧会です。
仁志出敬子さんはこの方です。

まず、「コンピューター・グラフィック」というと、
もしかすると緻密で、メカニックで、先鋭的な作風を
イメージされる方もいらっしゃるかもしれませんが
仁志出さんの作品は「コンピューター」を
意識させることのない、温かで優しい印象です。
「そうですね、わざと手描きっぽくしている
ところはあります。
パソコンでなめらかな線を描くというのは、
相当熟練していないとできない技術ですね」
コンピューターを習い始めたのは、今から18年前という
仁志出さん。
デザインやテキスタイルのお仕事をされていた関係も
かねて習得された技術ですが、
「コンピューター」を使って作品制作をするということに
特別な意識はなく、
ただ制作に必要な道具として捉えておられるようです。
「パソコンは機械の一種ですよね。
いびつなものを修正できたりもしますが、
パソコンだからといってきちっと線が描けるわけでは
ないので…。
作品をご覧になった方に『切って貼ったんか?』と
訊かれることもあるんですけど(笑)
私自身はこういう描き方が好きなので」
そして、実際に作品を見ていただくと
否応なく惹きつけられるのが、
そこに描かれた、可愛くて、シュールで
不思議な世界です。

「よく『この絵には何か物語があるの?』って
訊かれたりするんですけど、
物語があって、それに絵をつけているんじゃないんです。
最初に視覚的なイメージがあって、絵を描きます。
ストーリーは後からついたりすることもありますが」
“こういうものを描こう”と、頭で考えて決めるより
心に浮かんだ視覚的なイメージを着想にされるという
仁志出さん。
たとえば、こちらの「心の中の生き物」というタイトルが
ついた一連の作品は、
浮かんだイメージをクロッキー帳に描きためておき、
何年か経って掘り起こしたものが描かれています。

物語から生まれる絵ではない。
でも、
「この絵は何かの物語を表わしているんじゃないか…」
そう推測したい方の気持もわかる気がする
というぐらい、
仁志出さんの作品は本当に、
見れば見るほどユニークで興味がつきません。
描かれている動物や人物が、ファンタジックでありながら
互いに絶妙な距離感を保っていることで生まれる
飄々としたユーモアのセンス。
現実からすれば突飛な光景が描かれているのに
絵の中の生き物たちは「いたって平常心」であることが
昔読んだ
“不思議の国のアリス”の世界を思い出させます。

―(笑)面白いです。なぜ動物たちはこのような形に…。
「“メビウスの輪”って、立体的に面白いと思って。
あと、“クラインの壷”ってありますよね。
そういう感じを作品に取り入れたくて。
輪の中に描いたのは、まあ
“うさぎとねこが永遠に追いかけっこをしている”
というか…(笑)」

―これは、左下の人物が“狼男”に
変身している最中かなと思ったのですが。
「いえ、イメージでは
“ピーターパンが影を身に着けている”
みたいな感じだったんですけど…」
―影ですか。そのただならぬ様子に
周りの動物たちも反応していますね。

―木になっている人物もインパクトがありますが、
周りに描かれてあるものも不思議です。
室内は夜のようなのに、窓の外は昼に見えたり。
あと、右側の大きなものさしとか、
左の壁から出ている足とか。
「そうですね…ものさしはあの、やはり背が伸びるということで…(笑)足は、ここにピンクのものが欲しかったんですけど、こう、足があったほうがいいかな…?と(笑)」
―(笑)
派手な見た目で注意をひく形ではなく
画面の細部に目をこらすほど、
じわじわとおかしさがこみあげてくるユーモアを
そなえた仁志出さんの作品たち。
「おかしいですよね。描いているときは別に
笑いを取ろうと思って描いていないんですけど…。
でも、自分でも笑えてきます(笑)」
コンピューターを使用し、独自の世界を描く
仁志出さんの作品群は、
わかりやすい形で「ジャンル分け」ができる
特徴をもたないため
これまで、様々な形に受け取られてきたそうです。

「『イラストレーターですか?』と訊かれることも
あるんですけれど、
“イラストレーター”の定義がわからなくて。
辞書で引くと、
“絵本の挿絵を描く人”“商業的な絵を描く人”
というような意味があったのですが、
この作品は、売るための絵ではないので…」
また、絵の中に登場する動物や人物やものの
大きさが現実とは異なっていたり、
いわゆる「遠近法」に沿っているといえない形で
あることについて、仁志出さんは、
「みんな対等に描いていて、絵の中のどれを強調
したくてというのが、あまりないんです」
と言われます。
あくまで私個人の感想ですが、
その感覚は、仁志出さんがデザインや
テキスタイルの制作を手がけられてきたことに
関係があるのかもと思いました。

最後に、来場される方にメッセージをいただきました。
「具体的で、でも写実的ではないという世界ですので
現実の固定観念にとらわれないで見てほしいと思います。
展示のタイトルにもある“心の中の生き物”として」
インタビュー中の仁志出さんの言葉に
反するようですが
私が仁志出さんの作品を見て連想したものは
「昔の児童書の挿絵作家の作品」でした。
デザイン性に優れながら、温かさとユーモアをそなえ、
決して「物語の説明」にならない豊かな挿絵の世界。
その絵は、読み手の想像力を縛るものではなく、
絵があることで物語は謎を深め、奥行きを増します。
観る側が心を開いてじっと見つめた分だけ、
中にある豊かな世界を教えてくれる、
そんな仁志出さんの作品世界をぜひ会場で
心ゆくまで時間をかけて
ご覧になっていただきたいです。

(仁志出さんの旦那様は2013年にこのギャラリーに出展していただいた仁志出孝春さんです。「ご主人様は作品を見て何と言われますか?」との質問に「こんな発想がいったいどこから来るのか不思議だ、って言います」)
(2月12日(木)・2月17日(火)は休館日です)