
2015年06月26日
【開催中】Yuki Tanida チョークアート展
みなさん、こんにちは
夏至を過ぎて、本格的な夏が目前ですね。
そして時々、“夕立”というにはかなり
激しすぎる雨が、
雷を連れて降ってきたりします。
「ゲリラ豪雨」という言葉が
すっかり定着した感のある近年。
お出かけの際には
お天気情報のチェックもお忘れなく。
さてさて。
現在、わたむき美術ギャラリーでは
本当に素敵な展覧会が開催中です。
Yuki Tanida
チョークアート展
~印刷物のように完璧ではない、温もりある
指先で描くポップな絵~
6月18日(木)~7月12日(日)

チョークアートとはもともと、
オーストラリアで発祥した新しいアートの形。
15年ほど前から日本でも、
「黒板のようなものに上手で可愛い絵が
描いてあるお店の看板やメニュー表」
という形で
頻繁にその存在を目にするようになりました。
今回は、チョークアーティストとして活躍する
長浜市在住のYuki Tanidaさんの展覧会です。
Yukiさんのお写真はこちら。

なんと今回Yukiさんは、
会期中の毎日曜日の午後に在廊し、
作品制作の様子をライブペインティングで
見せてくださるんです。
早速、先日の6月21日(日)に
ギャラリーで絵を描いてくださったYukiさん。
通りがかる人々が、Yukiさんの作業を見ようと
次々に近づいてこられます。

(皆さんYukiさんの手元を真剣に覗かれています)
チョークアートについてのお話を
(ライブペインティングは
そのまま続けていただきながら)
ゆっくりと、Yukiさんにお伺いしました。
―この“オイルパステル”というもので描かれて
いくのですね。
Yukiさん「そうですね。これは一見普通の
クレヨンみたいに見えるんですけど、
値段は3倍近く違うんですよ。
クレヨンの形をした油彩みたいなものです」
―作品の仕上がりが綺麗なので、
パステルだけで描かれているというのが
すごいなと…。
「ぼかす部分や表面をなめらかに見せる部分は
オイルパステルで着色したあとで指を使います。
それからたとえばこういう犬の毛の質感なんかは
綿棒でぼかして表現したりしますね」

(綿棒は太さの違うものを持ってこられていました)
インタビュー中も、何人もの人がYukiさんの
周りに近づき、
絵が出来る過程を眺めていかれます。
Yukiさんは、見学の方から質問を受けられると
とても気さくに答えを返されますが、
手の動きは止めず、作品から目を上げる回数も
どちらかといえば少ないようです。
しかしそれは見る人の問いかけを拒む感じでは
全くなく、
ライブペイントのオープンな雰囲気と
作品に対する集中を両立させている、
自然な雰囲気が印象的です。

(「毛のふわふわと表面のつやつやの違いが面白いかなと、“犬とトマト”を描こうと思って」とのこと)
―1枚の作品を仕上げるのに、どれくらいの時間が
かかるものなのですか?
「作品の大きさにもよりますね。あと、デザインや
構図を決めるのが一番大変ですね。
それさえ決まって色を塗りだせば、
今描いているものぐらいの大きさなら
3時間ぐらいでできてしまいます。
…描いてると集中するので、3時間が30分に
感じたりするんですよ。
『あ、もうこんなに時間が経ってた?』っていう風に」
―子どもの頃に何かに集中していたとき、
そんな時間感覚があったような気がします。
「あ、そうそう。きっとそんな感じだと思います」
さて、現在“チョークアーティスト”として、
お店の看板や結婚式のウェルカムボード、
ペットの姿を作品にしてほしいという
依頼などを受け、作品を制作している
Yukiさんですが、
過去には大学で建築やインテリア、
カラーデザインを学んだのち、建築会社に就職。
その後はカフェの経営を、ごく最近まで
続けられていたそうです。

(経営されていたカフェで実際に使われていたチョークアートも、今回展示されています)
「でも、絵はずっと、物心ついたときから好きで
広告の裏なんかにしょっちゅう描いてたんですね。
子どものころの卒業文集には
“絵描きさんになる”って書いてたみたいです」
―チョークアートに出会われたのは、
カフェの経営がきっかけだったのですか?
「いや、もう普通にテレビで紹介されて
いたのを見て。
カフェとはまた関係なく、絵として、これを
やってみたいなと思って」

自分のお店を演出するための手段としてではなく
チョークアートそのものに魅せられ、
やがてYukiさんはアーティストとして
独立する道を選びます。
過去にYukiさんを通じ、作品制作を
体験して以来、
チョークアートのファンになったという方々が
会場にいらしてくださったので、
チョークアートが持つ魅力を伺ってみました。
「それまでチョークアートを見たことが
なかったので、
見た目がリアルなのに驚きました。
チョークアート制作を体験してから、
町の色々なチョークアートに
目がいくようになりましたね」

Yukiさん「チョークアーティストによって
絵の個性も違うんですよね」
「自分では恐れ多くて、
それ以降は描いてないですけど」
―“恐れ多い”とは…。
「あの、すごく難しいんですよ。
油絵や水彩ならパレットの上で調色
(色の調子を見る)することが
できますが、
チョークアートは直接作品の上で
色を混ぜないといけないんです。
素人には難しい。
だから、(アーティストのことを)
尊敬しますよね」
Yukiさん「慣れればそんなに
難しくないんですが…。
やってると楽しいんですよ。本当に楽しい」

(これは・・・?そうです。アメリカの某有名メーカーのスープ缶。もちろんあのウォーホルのパロディーですが、よく見るとYukiさんならではのエッジのきいたアレンジが)
色鮮やかで、描くものをリアルに表現できる
チョークアートには、
人を明るい気分にする力があるのか、
今回の展示を見学されるお客様の表情は、
どの年齢層の方をみてもひときわ楽しそうです。
贈り物や看板としてのチョークアートが
人気の訳を肌で感じるような気がします。
Yukiさんにとって“チョークアートという仕事” とは
いったいどのようなものなのでしょう。
「お客さんの受注で描くということは、
“苦手なこと”もしないとダメなんです。
自分だったら描かないものも描くことがある。
それが自分の幅を広げてくれるんです。
そのことにとても感謝しています」
「よく、好きなことが仕事になってしまうと
楽しくなくなるって言いますよね。
これは“仕事になっても楽しい”んですよ」

“ただ、私は描くのが好きなんです”
“今一番思っているのは、
もっと上手くなりたいということ。
そして(チョークアートが)
すごく楽しいということです”
質問をすると、Yukiさんは必ず
一度考えてから
率直で無駄のない言葉を
返してくださいました。
私の主観なのですが、
チョークアートという方法を選ばれる方は
「人を幸せな気持ちにする才能」のようなものを
持っておられるのではないかと感じました。
そして、その才能を持っている方々は
職業や年齢などは様々でもどこか共通して
Yukiさんのように、率直でシンプルな言葉を
選ばれるような気がします。

最後に、
来場される方へメッセージをいただきました。
「私は初めてチョークアートを見たとき、
こんなにカラフルな絵があるのかと衝撃を受けて、
やってみたいと思いました。
皆さんにも、私がそうだったように、
初めて見た瞬間の驚きを
ぜひ感じていただきたいです」
友人と来ても、家族と来ても、夫婦で来ても、
きっと楽しい時間を過ごせる展覧会です。
Yukiさんの手元で絵が生まれる魔法の瞬間も
ぜひご覧ください。
(6月30日(火)7月7日(火)は休館日です)

(Yukiさんのスタジオのマスコットキャラクター。作品にも登場しているスープ缶の上にて常時在廊中です!)

夏至を過ぎて、本格的な夏が目前ですね。
そして時々、“夕立”というにはかなり
激しすぎる雨が、
雷を連れて降ってきたりします。
「ゲリラ豪雨」という言葉が
すっかり定着した感のある近年。
お出かけの際には
お天気情報のチェックもお忘れなく。
さてさて。
現在、わたむき美術ギャラリーでは
本当に素敵な展覧会が開催中です。
Yuki Tanida
チョークアート展
~印刷物のように完璧ではない、温もりある
指先で描くポップな絵~
6月18日(木)~7月12日(日)

チョークアートとはもともと、
オーストラリアで発祥した新しいアートの形。
15年ほど前から日本でも、
「黒板のようなものに上手で可愛い絵が
描いてあるお店の看板やメニュー表」
という形で
頻繁にその存在を目にするようになりました。
今回は、チョークアーティストとして活躍する
長浜市在住のYuki Tanidaさんの展覧会です。
Yukiさんのお写真はこちら。

なんと今回Yukiさんは、
会期中の毎日曜日の午後に在廊し、
作品制作の様子をライブペインティングで
見せてくださるんです。
早速、先日の6月21日(日)に
ギャラリーで絵を描いてくださったYukiさん。
通りがかる人々が、Yukiさんの作業を見ようと
次々に近づいてこられます。

(皆さんYukiさんの手元を真剣に覗かれています)
チョークアートについてのお話を
(ライブペインティングは
そのまま続けていただきながら)
ゆっくりと、Yukiさんにお伺いしました。
―この“オイルパステル”というもので描かれて
いくのですね。
Yukiさん「そうですね。これは一見普通の
クレヨンみたいに見えるんですけど、
値段は3倍近く違うんですよ。
クレヨンの形をした油彩みたいなものです」
―作品の仕上がりが綺麗なので、
パステルだけで描かれているというのが
すごいなと…。
「ぼかす部分や表面をなめらかに見せる部分は
オイルパステルで着色したあとで指を使います。
それからたとえばこういう犬の毛の質感なんかは
綿棒でぼかして表現したりしますね」

(綿棒は太さの違うものを持ってこられていました)
インタビュー中も、何人もの人がYukiさんの
周りに近づき、
絵が出来る過程を眺めていかれます。
Yukiさんは、見学の方から質問を受けられると
とても気さくに答えを返されますが、
手の動きは止めず、作品から目を上げる回数も
どちらかといえば少ないようです。
しかしそれは見る人の問いかけを拒む感じでは
全くなく、
ライブペイントのオープンな雰囲気と
作品に対する集中を両立させている、
自然な雰囲気が印象的です。

(「毛のふわふわと表面のつやつやの違いが面白いかなと、“犬とトマト”を描こうと思って」とのこと)
―1枚の作品を仕上げるのに、どれくらいの時間が
かかるものなのですか?
「作品の大きさにもよりますね。あと、デザインや
構図を決めるのが一番大変ですね。
それさえ決まって色を塗りだせば、
今描いているものぐらいの大きさなら
3時間ぐらいでできてしまいます。
…描いてると集中するので、3時間が30分に
感じたりするんですよ。
『あ、もうこんなに時間が経ってた?』っていう風に」
―子どもの頃に何かに集中していたとき、
そんな時間感覚があったような気がします。
「あ、そうそう。きっとそんな感じだと思います」
さて、現在“チョークアーティスト”として、
お店の看板や結婚式のウェルカムボード、
ペットの姿を作品にしてほしいという
依頼などを受け、作品を制作している
Yukiさんですが、
過去には大学で建築やインテリア、
カラーデザインを学んだのち、建築会社に就職。
その後はカフェの経営を、ごく最近まで
続けられていたそうです。

(経営されていたカフェで実際に使われていたチョークアートも、今回展示されています)
「でも、絵はずっと、物心ついたときから好きで
広告の裏なんかにしょっちゅう描いてたんですね。
子どものころの卒業文集には
“絵描きさんになる”って書いてたみたいです」
―チョークアートに出会われたのは、
カフェの経営がきっかけだったのですか?
「いや、もう普通にテレビで紹介されて
いたのを見て。
カフェとはまた関係なく、絵として、これを
やってみたいなと思って」

自分のお店を演出するための手段としてではなく
チョークアートそのものに魅せられ、
やがてYukiさんはアーティストとして
独立する道を選びます。
過去にYukiさんを通じ、作品制作を
体験して以来、
チョークアートのファンになったという方々が
会場にいらしてくださったので、
チョークアートが持つ魅力を伺ってみました。
「それまでチョークアートを見たことが
なかったので、
見た目がリアルなのに驚きました。
チョークアート制作を体験してから、
町の色々なチョークアートに
目がいくようになりましたね」

Yukiさん「チョークアーティストによって
絵の個性も違うんですよね」
「自分では恐れ多くて、
それ以降は描いてないですけど」
―“恐れ多い”とは…。
「あの、すごく難しいんですよ。
油絵や水彩ならパレットの上で調色
(色の調子を見る)することが
できますが、
チョークアートは直接作品の上で
色を混ぜないといけないんです。
素人には難しい。
だから、(アーティストのことを)
尊敬しますよね」
Yukiさん「慣れればそんなに
難しくないんですが…。
やってると楽しいんですよ。本当に楽しい」

(これは・・・?そうです。アメリカの某有名メーカーのスープ缶。もちろんあのウォーホルのパロディーですが、よく見るとYukiさんならではのエッジのきいたアレンジが)
色鮮やかで、描くものをリアルに表現できる
チョークアートには、
人を明るい気分にする力があるのか、
今回の展示を見学されるお客様の表情は、
どの年齢層の方をみてもひときわ楽しそうです。
贈り物や看板としてのチョークアートが
人気の訳を肌で感じるような気がします。
Yukiさんにとって“チョークアートという仕事” とは
いったいどのようなものなのでしょう。
「お客さんの受注で描くということは、
“苦手なこと”もしないとダメなんです。
自分だったら描かないものも描くことがある。
それが自分の幅を広げてくれるんです。
そのことにとても感謝しています」
「よく、好きなことが仕事になってしまうと
楽しくなくなるって言いますよね。
これは“仕事になっても楽しい”んですよ」

“ただ、私は描くのが好きなんです”
“今一番思っているのは、
もっと上手くなりたいということ。
そして(チョークアートが)
すごく楽しいということです”
質問をすると、Yukiさんは必ず
一度考えてから
率直で無駄のない言葉を
返してくださいました。
私の主観なのですが、
チョークアートという方法を選ばれる方は
「人を幸せな気持ちにする才能」のようなものを
持っておられるのではないかと感じました。
そして、その才能を持っている方々は
職業や年齢などは様々でもどこか共通して
Yukiさんのように、率直でシンプルな言葉を
選ばれるような気がします。

最後に、
来場される方へメッセージをいただきました。
「私は初めてチョークアートを見たとき、
こんなにカラフルな絵があるのかと衝撃を受けて、
やってみたいと思いました。
皆さんにも、私がそうだったように、
初めて見た瞬間の驚きを
ぜひ感じていただきたいです」
友人と来ても、家族と来ても、夫婦で来ても、
きっと楽しい時間を過ごせる展覧会です。
Yukiさんの手元で絵が生まれる魔法の瞬間も
ぜひご覧ください。
(6月30日(火)7月7日(火)は休館日です)

(Yukiさんのスタジオのマスコットキャラクター。作品にも登場しているスープ缶の上にて常時在廊中です!)
2015年06月01日
【開催中】鳥本 潔 絵画展
みなさん、こんにちは
日によっては、街をゆく人の姿が
タンクトップにビーチサンダルで
頭にはつばの広い帽子・・・と
もう夏
としかいえない眺めになる今日この頃。
このあとに梅雨が来るなんて
何だか実感がわきません。
家の中が暑すぎて疲れる日には
気軽に来られる最高の避暑地、
わたむきホール虹の美術ギャラリーにて
美しい作品と静かに向き合うひとときを
お過ごしください。
新しい展覧会が始まりました。
鳥本 潔 絵画展
~時代とともに
変化していった絵画~
5月28日(金)~6月14日(日)

美術大学で絵を学ばれた後、
印刷会社でデザイン制作のお仕事をされ
その会社を退職された現在も画家として
活動を続けておられる
鳥本潔(とりもと きよし)さんの絵画展です。
鳥本さんのお写真はこちらです。

また、今回は賛助出品として、
日本画家の山田水雲さんによる
味わい深い書の作品が4点展示されています。
さて、繰り返しになりますが
今回の展覧会タイトルは
「時代とともに変化していった絵画」
というもの。
この言葉の意味は、
まず会場に足を踏み入れていただけば
お分かりになると思います。
制作年代によって、使用されている技法も違えば
画風そのものも大きく異なる様々な絵が
1人の画家の手による作品群として
展示されているからです。
(鳥本さん)「よく、『それぞれ違う人の作品やろ』って言われますよ」
鳥本さんの画風の変遷としては
大きく3つの時代があるようです。
まず1つめが、美術大学時代。
そして、デザイン制作をされていた時代。
最後に、現在。
変化を繰り返してこられた
それぞれの画風のお話を
ゆっくりとお楽しみください。
―こちらが、美大の頃の作品ですね―

「この頃は油絵をやっていました。
自分の好きな色を出すために、
ほとんど格闘していたような感じでしたね」
中学生の頃、水彩絵の具であまり水を使わず
絵を描いていたら
「油絵のようになっている。(画風が)ませてる」
と言われたことがあるという鳥本さん。
美大ではその油絵に思いきり取り組む日々を
過ごされたようです。
―色が渋いというか、何重にも重なった末の
色、という感じですよね―
「この色になるまでにね、
いっぱい絵の具を使ってるんですよ(笑)
もうこの時は必死でやってました」

絵に近づいてみると、
重ねられた絵の具の量と、筆やナイフの跡に
「格闘」の痕跡を見ることができます。
やがて大学を卒業される際、
鳥本さんが直面したのが、
就職の問題でした。
「ちょうどオイルショックの
時代にあたりまして
就職がないわけです。
美大出身で出来る仕事というので
ある印刷会社のデザイン制作の
仕事に就いたのですが」
その時代の作品がこちら。

「デザインの仕事は、23,4歳から
35、6歳までやっていました。
油絵からアクリルに転向したのは
この頃です。
この時代の間にデザイン展を
4~5回やりました」
―この頃の作品は先進的というか
挑戦的で大胆でもありますね―
「いや、この頃は子どももいたし、
デザインで食べていかなければ
いけませんでしたから必死でした。
当時の社長も、作品の出来で
仕事を評価する人でしたので。
またデザインは、それまでやっていた
洋画とはまったく違うものでした。
絵をやっていた分、何とかなると
甘く見ていた部分があったので、
大変でしたね」

(「道」をテーマにデザインを求められた際に制作されたもの。京都の「道」と、芸の「道」に励む芸妓さんが画面に配されています。)
鳥本さんがデザイン制作をされていた時代、
日本はバブルがもたらす好景気に沸いていました。
大胆で、遊び心を感じる作品の中に、
あの頃独特の空気感を
お感じになる方もいらっしゃるのでは
ないでしょうか。
最後に、10年ほど前から現在までの
作品についてお伺いしました。
今、鳥本さんは、日本画のモチーフに
心を寄せられているそうです。
今回、会場に訪れる人々の目を、
ひときわ惹きつけている作品がこちら。

「次女の成人式の姿です。
これは実際に着ていた着物とは
違うんですけれども。
着物のサンプルの中にあった柄で」
―色のトーンが明るく、軽くなっていますね。
構図に感じるデザインの感覚が、上品で素敵です―
「赤をこんなに強烈に描いたのは
はじめてですね。
成人式のときの娘の印象が強かったもので。
あと、今もアクリルを使っているのですが
もしデザインをやっていなかったら
アクリルを手に取ることはなかったです」
近年描かれることが多いという
「和」のモチーフについては
“(人物画なら)和装の微妙な色味を
表現するのが難しく、苦労します”と
仰る鳥本さんですが、
“出したい色が出るまで格闘していた”
油絵の時代と比較すると
色が迷いなく、軽やかに選ばれている印象です。
また、構図も自然でありながら
インパクトの強いものになっています。
―学生時代、デザインの時代、そして現在と
絵をお描きになっている時の気持ちに
何か変化はありましたか?-
「うーん、今のほうが自由に表現できますね。
学生の頃は、与えられた課題を表現していました。
デザインをやっていた頃は、
テーマに沿ったものを表現しなければなりませんでした。
今は、自分の描きたいものを描けますから」
―手法や画法については、今の形が
今の鳥本さんにぴったり合ったものと
いうことですか―
「そうですね。今は主観がこういう絵の形です」
鳥本さんのお話の中で、新鮮に感じたのは
「画風や手法が変わること自体を
特別なこととは思われていない」点でした。
それよりも、どの時代のお話をされる時にも
“必死だった”“格闘していた”と言われるのを
聞いているうちに
絵の形の変遷がそのまま、鳥本さんが
絵を描きながら手探りで探し当ててこられた
誠実な人生の道筋そのものに見えてきました。

最後に、来場される方にメッセージをいただきました。
「いろいろな作品がありますけれども
本当に、私1人が描いているものですのでね(笑)
いろいろな形の絵を、お楽しみいただけたらと
思います」
今回の展覧会、もちろん全ての年代の方に
お越しになっていただきたいのですが、
人生の忙しくも充実した時期をひと巡りされた
「大人」の方の目には、より作品が味わい深く
映るのではないかと思います。
ご夫婦で、ご友人同士で、またお一人でじっくりと
鳥本さんの絵をご覧になってみてください。

(賛助出品の山田水雲さんの書。精緻な筆で描かれる日本画とはまた趣のちがう、見ていると心がやわらかくほぐれるような作品です)
(6月2日(火)・6月5日(金)・6月9日(火)は休館日です)

日によっては、街をゆく人の姿が
タンクトップにビーチサンダルで
頭にはつばの広い帽子・・・と
もう夏

このあとに梅雨が来るなんて
何だか実感がわきません。
家の中が暑すぎて疲れる日には
気軽に来られる最高の避暑地、
わたむきホール虹の美術ギャラリーにて
美しい作品と静かに向き合うひとときを
お過ごしください。
新しい展覧会が始まりました。
鳥本 潔 絵画展
~時代とともに
変化していった絵画~
5月28日(金)~6月14日(日)

美術大学で絵を学ばれた後、
印刷会社でデザイン制作のお仕事をされ
その会社を退職された現在も画家として
活動を続けておられる
鳥本潔(とりもと きよし)さんの絵画展です。
鳥本さんのお写真はこちらです。

また、今回は賛助出品として、
日本画家の山田水雲さんによる
味わい深い書の作品が4点展示されています。
さて、繰り返しになりますが
今回の展覧会タイトルは
「時代とともに変化していった絵画」
というもの。
この言葉の意味は、
まず会場に足を踏み入れていただけば
お分かりになると思います。
制作年代によって、使用されている技法も違えば
画風そのものも大きく異なる様々な絵が
1人の画家の手による作品群として
展示されているからです。
(鳥本さん)「よく、『それぞれ違う人の作品やろ』って言われますよ」
鳥本さんの画風の変遷としては
大きく3つの時代があるようです。
まず1つめが、美術大学時代。
そして、デザイン制作をされていた時代。
最後に、現在。
変化を繰り返してこられた
それぞれの画風のお話を
ゆっくりとお楽しみください。
―こちらが、美大の頃の作品ですね―

「この頃は油絵をやっていました。
自分の好きな色を出すために、
ほとんど格闘していたような感じでしたね」
中学生の頃、水彩絵の具であまり水を使わず
絵を描いていたら
「油絵のようになっている。(画風が)ませてる」
と言われたことがあるという鳥本さん。
美大ではその油絵に思いきり取り組む日々を
過ごされたようです。
―色が渋いというか、何重にも重なった末の
色、という感じですよね―
「この色になるまでにね、
いっぱい絵の具を使ってるんですよ(笑)
もうこの時は必死でやってました」

絵に近づいてみると、
重ねられた絵の具の量と、筆やナイフの跡に
「格闘」の痕跡を見ることができます。
やがて大学を卒業される際、
鳥本さんが直面したのが、
就職の問題でした。
「ちょうどオイルショックの
時代にあたりまして
就職がないわけです。
美大出身で出来る仕事というので
ある印刷会社のデザイン制作の
仕事に就いたのですが」
その時代の作品がこちら。

「デザインの仕事は、23,4歳から
35、6歳までやっていました。
油絵からアクリルに転向したのは
この頃です。
この時代の間にデザイン展を
4~5回やりました」
―この頃の作品は先進的というか
挑戦的で大胆でもありますね―
「いや、この頃は子どももいたし、
デザインで食べていかなければ
いけませんでしたから必死でした。
当時の社長も、作品の出来で
仕事を評価する人でしたので。
またデザインは、それまでやっていた
洋画とはまったく違うものでした。
絵をやっていた分、何とかなると
甘く見ていた部分があったので、
大変でしたね」

(「道」をテーマにデザインを求められた際に制作されたもの。京都の「道」と、芸の「道」に励む芸妓さんが画面に配されています。)
鳥本さんがデザイン制作をされていた時代、
日本はバブルがもたらす好景気に沸いていました。
大胆で、遊び心を感じる作品の中に、
あの頃独特の空気感を
お感じになる方もいらっしゃるのでは
ないでしょうか。
最後に、10年ほど前から現在までの
作品についてお伺いしました。
今、鳥本さんは、日本画のモチーフに
心を寄せられているそうです。
今回、会場に訪れる人々の目を、
ひときわ惹きつけている作品がこちら。

「次女の成人式の姿です。
これは実際に着ていた着物とは
違うんですけれども。
着物のサンプルの中にあった柄で」
―色のトーンが明るく、軽くなっていますね。
構図に感じるデザインの感覚が、上品で素敵です―
「赤をこんなに強烈に描いたのは
はじめてですね。
成人式のときの娘の印象が強かったもので。
あと、今もアクリルを使っているのですが
もしデザインをやっていなかったら
アクリルを手に取ることはなかったです」
近年描かれることが多いという
「和」のモチーフについては
“(人物画なら)和装の微妙な色味を
表現するのが難しく、苦労します”と
仰る鳥本さんですが、
“出したい色が出るまで格闘していた”
油絵の時代と比較すると
色が迷いなく、軽やかに選ばれている印象です。
また、構図も自然でありながら
インパクトの強いものになっています。
―学生時代、デザインの時代、そして現在と
絵をお描きになっている時の気持ちに
何か変化はありましたか?-
「うーん、今のほうが自由に表現できますね。
学生の頃は、与えられた課題を表現していました。
デザインをやっていた頃は、
テーマに沿ったものを表現しなければなりませんでした。
今は、自分の描きたいものを描けますから」
―手法や画法については、今の形が
今の鳥本さんにぴったり合ったものと
いうことですか―
「そうですね。今は主観がこういう絵の形です」
鳥本さんのお話の中で、新鮮に感じたのは
「画風や手法が変わること自体を
特別なこととは思われていない」点でした。
それよりも、どの時代のお話をされる時にも
“必死だった”“格闘していた”と言われるのを
聞いているうちに
絵の形の変遷がそのまま、鳥本さんが
絵を描きながら手探りで探し当ててこられた
誠実な人生の道筋そのものに見えてきました。

最後に、来場される方にメッセージをいただきました。
「いろいろな作品がありますけれども
本当に、私1人が描いているものですのでね(笑)
いろいろな形の絵を、お楽しみいただけたらと
思います」
今回の展覧会、もちろん全ての年代の方に
お越しになっていただきたいのですが、
人生の忙しくも充実した時期をひと巡りされた
「大人」の方の目には、より作品が味わい深く
映るのではないかと思います。
ご夫婦で、ご友人同士で、またお一人でじっくりと
鳥本さんの絵をご覧になってみてください。

(賛助出品の山田水雲さんの書。精緻な筆で描かれる日本画とはまた趣のちがう、見ていると心がやわらかくほぐれるような作品です)
(6月2日(火)・6月5日(金)・6月9日(火)は休館日です)
2015年05月13日
【開催中】村田 秀穂 水墨画展
みなさん、こんにちは
時々雨に降られたりはしますが、
基本的にいいお天気にたくさん恵まれる5月です。
空は青いし、緑はきれいで、気温はちょうどいい。
GWは終わりましたが、お休みの日にはまだまだ
近くでのお出かけを楽しみたい気持ちになります。
こちら日野町も見どころがいろいろ
有名な石楠花や藤の花の季節が終わっても
これからはブルーメの丘のバラの花
や、
雲迎寺さんの見事なサツキが
次々に見ごろを迎えます。
ぜひ日野町で、素敵な休日を過ごしてください!
さて、外でのお散歩を楽しまれた後は、
わたむきホール虹へもお立ち寄りくださいね。
美術ギャラリーにて新しい展覧会が始まりました。
村田 秀穂 水墨画展
~豊かな自然に恵まれ
感謝しながら・・・~
5月9日(土)~5月24日(日)

琵琶湖の西、高島市に居を構え
もう40年以上も水墨画を描き続けてこられた
画家、村田秀穂さんの展覧会です。
村田さんのお写真はこちらです。

また、今回の展覧会では、
日野町在住の水墨画家、野中南絢さんの作品も
賛助出品として展示されています。
会場に飾られた村田さんの画に見入ると、
心がしんと静かになります。
けれどもそれは決して淋しい感覚ではなく
静寂の中に、草木の気配のように柔らかで
豊かなものがたくさん息づいている、
といった印象を受けます。
作者の村田さんに、
ご自身の作品についてお話を伺いました。
―作品を見せて頂くと、画に宿っている「気配」
のようなものが、とても印象に残ります―
(村田さん)「そうですね、私はあまり
強烈な印象の画ではなく、
どちらかといえば穏やかな、
幻想的なもの、神秘的なものを描きたいと
思っています。
それから、墨の濃淡を大事に描きたいと」
―墨の濃淡・・・水墨画をなさる方は必ず
そのことを仰いますね―
「ええ。墨の濃淡を大事にというのは、
水墨画をやる人の使命だと思っています」
水墨画という手法では、
例えばそこに山があること、
水が流れていること、
その水の流れは粗いのか、穏やかなのか
風景の季節は夏なのか、冬なのか、
というところまで、全てを
“墨の濃淡”だけで表現します。
改めて考えるとすごいことだと思います。
その、墨の濃淡の世界の中で
今回ひときわ目につくのが、
琵琶湖の姿が描かれている作品です。

「この画は春雪の、芽吹きの頃の風景ですね。
私の家の近くの、安曇川岬から伊吹山を見た
画なんです」
―こんなに琵琶湖と伊吹山が綺麗に見える景色が
あるのですか!-
「ええ、ここはとても伊吹山が綺麗に見えますね。
ありがたいことです。
ここは私の一番好きな場所です。
安曇川から新旭にかけての場所なんですが」

「この、左側にあるのは柳の古木でして、
柳の古木と、母なる湖がそこにある。
この柳は葉っぱをたくさんつけるんですが
寒い時期に葉っぱを落とした姿が
気高く見えるんですね」
―私達は琵琶湖を知っていますので、
この画を見たときに「ああ、琵琶湖だな」と
わかる感じがあります。
もし、なんの予備知識もなくこの画を見たとしても
「海」を描いた画だとは思わない気がします―
「なかなか厳しい見方をなさっていると思います(笑)
そうです。海に見えてはいけないんです。
この画は、琵琶湖を描こうと思って
“母なる湖”なんてタイトルをつけてね。
画の前にタイトルを先に考えたものだから
画がなかなかうまくいかなくて
何枚も描いては失敗しました」
村田さんは、お話の端々で
琵琶湖をこのように形容されます。
“全てのものを育んでいる、あまりにも大きな存在”
“琵琶湖が一体どれだけの人を
楽しませているのかと思うと・・・”
“「マザーレイク」という言葉は、いったい
誰が考えられたのか。まさにその通りだと思う”
県の西北にある高島で、原風景とも呼べる
琵琶湖の美しい姿に接してこられた村田さんの
心象風景を垣間見るような言葉です。
展示作品の中心は琵琶湖をはじめとする
滋賀県の風景を描いた画ですが、
それ以外の場所を描いたものも数点、
出品されています。

「剱岳(つるぎだけ)です。立山の」
―映画にもなった、あの剱岳ですね。―
「こんな厳しい山はない、と言われる山です。
今まで何人遭難しているかわからない。
はしごや鎖を使って登るしかない所が
いくつもあるそうです」
「どんな風に描いたら怖く見えるかと思いました。
岳にはあらゆる方面から風が吹いています。
その風を画に入れたんです」

日本海からの風が、鋭い剱岳の先鋒に
人間が触れることをかたく拒んでいます。
先程の“琵琶湖”と、正反対の性格を持つ剣岳ですが
村田さんにとってはやはり剱岳も
“画を描くものとして憧れ”の対象なのだそうです。
再び湖西地方を描いた画へ戻ります。

村田さんは、ご自身の画を紹介されるとき
「こういう自然を残さなければなりませんね」
「こういう風景を残していかないといけないです」
そんな一言を、最後に添えられていました。
―やはり湖西にお住まいですと、
画にお描きになられているような風景が
だんだんなくなっていくことを、
肌でお感じになりますか―
「それはもう・・・。やはり若い人たちの
働く場所が、という問題がね。
働いて、子どもを育てていく環境となると
若い人たちがどんどん外に出てしまいますから。
例えば、こういう集落(の存続)が危ないですよ」


また、こうも言われました。
「滋賀県は、自然に恵まれています。
自然が美しくて、穏やかで、住みやすくて
どなたも憧れる県だと思います。
何も遠くの場所を描くことはありません。
水墨画であろうと、油絵や水彩であろうと、
滋賀県で画を描く者は、滋賀県の風景を
大切に描いていく必要があります」
村田さんにお話をお伺いした印象で
とてもはっきりとしていたことは
ご自身の画の技術的なことや
ご自身が画に込められた「想い」のようなことは
ほぼ全く話されず、
お話しになっていたことのほとんどは
画に描かれた風景が、いかにかけがえのない
大切なものかについてだった、
と、いうことです。
その対象を美しいと思い、
とても大切に思うから
きっと人は何かを画に描きたくなる。
村田さんが話されることは全て、
その単純で重要な核心だけを
示されているかのようでした。

最後に、これから会場へいらっしゃる方に向けて
村田さんより一言、メッセージを
頂きました。
「スケジュールの間で時間が取れましたら
土日はできるかぎり、ギャラリーの方へ
来させて頂こうと思います」
ぜひ、美しい画を眺めながら、
村田さんに琵琶湖や湖西の里山についての
お話をお聞きになってみてください。
その後、季節のいいこの時期に、
実際に琵琶湖まで足を伸ばされてみては
いかがでしょうか。
よく知っているはずの景色が、
心に深くしみこんでくるのを感じられるかも
しれません。

(賛助出品の野中南絢さんの作風は、村田さんとはまた個性の異なる、男性的な力強さをもったもの。筆の使い方や墨の濃淡の生かし方の違いを見てみてください)
(5月19日(火)は休館日です)

時々雨に降られたりはしますが、
基本的にいいお天気にたくさん恵まれる5月です。
空は青いし、緑はきれいで、気温はちょうどいい。
GWは終わりましたが、お休みの日にはまだまだ
近くでのお出かけを楽しみたい気持ちになります。
こちら日野町も見どころがいろいろ

有名な石楠花や藤の花の季節が終わっても
これからはブルーメの丘のバラの花

雲迎寺さんの見事なサツキが
次々に見ごろを迎えます。
ぜひ日野町で、素敵な休日を過ごしてください!
さて、外でのお散歩を楽しまれた後は、
わたむきホール虹へもお立ち寄りくださいね。
美術ギャラリーにて新しい展覧会が始まりました。
村田 秀穂 水墨画展
~豊かな自然に恵まれ
感謝しながら・・・~
5月9日(土)~5月24日(日)

琵琶湖の西、高島市に居を構え
もう40年以上も水墨画を描き続けてこられた
画家、村田秀穂さんの展覧会です。
村田さんのお写真はこちらです。

また、今回の展覧会では、
日野町在住の水墨画家、野中南絢さんの作品も
賛助出品として展示されています。
会場に飾られた村田さんの画に見入ると、
心がしんと静かになります。
けれどもそれは決して淋しい感覚ではなく
静寂の中に、草木の気配のように柔らかで
豊かなものがたくさん息づいている、
といった印象を受けます。
作者の村田さんに、
ご自身の作品についてお話を伺いました。
―作品を見せて頂くと、画に宿っている「気配」
のようなものが、とても印象に残ります―
(村田さん)「そうですね、私はあまり
強烈な印象の画ではなく、
どちらかといえば穏やかな、
幻想的なもの、神秘的なものを描きたいと
思っています。
それから、墨の濃淡を大事に描きたいと」
―墨の濃淡・・・水墨画をなさる方は必ず
そのことを仰いますね―
「ええ。墨の濃淡を大事にというのは、
水墨画をやる人の使命だと思っています」
水墨画という手法では、
例えばそこに山があること、
水が流れていること、
その水の流れは粗いのか、穏やかなのか
風景の季節は夏なのか、冬なのか、
というところまで、全てを
“墨の濃淡”だけで表現します。
改めて考えるとすごいことだと思います。
その、墨の濃淡の世界の中で
今回ひときわ目につくのが、
琵琶湖の姿が描かれている作品です。

「この画は春雪の、芽吹きの頃の風景ですね。
私の家の近くの、安曇川岬から伊吹山を見た
画なんです」
―こんなに琵琶湖と伊吹山が綺麗に見える景色が
あるのですか!-
「ええ、ここはとても伊吹山が綺麗に見えますね。
ありがたいことです。
ここは私の一番好きな場所です。
安曇川から新旭にかけての場所なんですが」

「この、左側にあるのは柳の古木でして、
柳の古木と、母なる湖がそこにある。
この柳は葉っぱをたくさんつけるんですが
寒い時期に葉っぱを落とした姿が
気高く見えるんですね」
―私達は琵琶湖を知っていますので、
この画を見たときに「ああ、琵琶湖だな」と
わかる感じがあります。
もし、なんの予備知識もなくこの画を見たとしても
「海」を描いた画だとは思わない気がします―
「なかなか厳しい見方をなさっていると思います(笑)
そうです。海に見えてはいけないんです。
この画は、琵琶湖を描こうと思って
“母なる湖”なんてタイトルをつけてね。
画の前にタイトルを先に考えたものだから
画がなかなかうまくいかなくて
何枚も描いては失敗しました」
村田さんは、お話の端々で
琵琶湖をこのように形容されます。
“全てのものを育んでいる、あまりにも大きな存在”
“琵琶湖が一体どれだけの人を
楽しませているのかと思うと・・・”
“「マザーレイク」という言葉は、いったい
誰が考えられたのか。まさにその通りだと思う”
県の西北にある高島で、原風景とも呼べる
琵琶湖の美しい姿に接してこられた村田さんの
心象風景を垣間見るような言葉です。
展示作品の中心は琵琶湖をはじめとする
滋賀県の風景を描いた画ですが、
それ以外の場所を描いたものも数点、
出品されています。

「剱岳(つるぎだけ)です。立山の」
―映画にもなった、あの剱岳ですね。―
「こんな厳しい山はない、と言われる山です。
今まで何人遭難しているかわからない。
はしごや鎖を使って登るしかない所が
いくつもあるそうです」
「どんな風に描いたら怖く見えるかと思いました。
岳にはあらゆる方面から風が吹いています。
その風を画に入れたんです」

日本海からの風が、鋭い剱岳の先鋒に
人間が触れることをかたく拒んでいます。
先程の“琵琶湖”と、正反対の性格を持つ剣岳ですが
村田さんにとってはやはり剱岳も
“画を描くものとして憧れ”の対象なのだそうです。
再び湖西地方を描いた画へ戻ります。

村田さんは、ご自身の画を紹介されるとき
「こういう自然を残さなければなりませんね」
「こういう風景を残していかないといけないです」
そんな一言を、最後に添えられていました。
―やはり湖西にお住まいですと、
画にお描きになられているような風景が
だんだんなくなっていくことを、
肌でお感じになりますか―
「それはもう・・・。やはり若い人たちの
働く場所が、という問題がね。
働いて、子どもを育てていく環境となると
若い人たちがどんどん外に出てしまいますから。
例えば、こういう集落(の存続)が危ないですよ」


また、こうも言われました。
「滋賀県は、自然に恵まれています。
自然が美しくて、穏やかで、住みやすくて
どなたも憧れる県だと思います。
何も遠くの場所を描くことはありません。
水墨画であろうと、油絵や水彩であろうと、
滋賀県で画を描く者は、滋賀県の風景を
大切に描いていく必要があります」
村田さんにお話をお伺いした印象で
とてもはっきりとしていたことは
ご自身の画の技術的なことや
ご自身が画に込められた「想い」のようなことは
ほぼ全く話されず、
お話しになっていたことのほとんどは
画に描かれた風景が、いかにかけがえのない
大切なものかについてだった、
と、いうことです。
その対象を美しいと思い、
とても大切に思うから
きっと人は何かを画に描きたくなる。
村田さんが話されることは全て、
その単純で重要な核心だけを
示されているかのようでした。

最後に、これから会場へいらっしゃる方に向けて
村田さんより一言、メッセージを
頂きました。
「スケジュールの間で時間が取れましたら
土日はできるかぎり、ギャラリーの方へ
来させて頂こうと思います」
ぜひ、美しい画を眺めながら、
村田さんに琵琶湖や湖西の里山についての
お話をお聞きになってみてください。
その後、季節のいいこの時期に、
実際に琵琶湖まで足を伸ばされてみては
いかがでしょうか。
よく知っているはずの景色が、
心に深くしみこんでくるのを感じられるかも
しれません。

(賛助出品の野中南絢さんの作風は、村田さんとはまた個性の異なる、男性的な力強さをもったもの。筆の使い方や墨の濃淡の生かし方の違いを見てみてください)
(5月19日(火)は休館日です)
2015年04月12日
【開催中】松村 勝 写真絵画展
みなさん、こんにちは
今年の桜は存分に楽しまれたでしょうか?
近年目にする光景ですが、
大きな街の、人の集まる場所で桜が咲くと
私達日本人と同様に、かなりの数の外国の方が
スマートフォンで撮影をされたりしています。
前に、日本に住む外国人の知人が
「春になると桜が綺麗だから、日本は最高だ」
と言っていました。
毎年、春先のこの季節、
私達は最高の場所で暮らしているのですね
さて、そんな綺麗な桜の一瞬の美を閉じ込めて
好きなときに眺めるための道具、
それが写真です。
現在、わたむき美術ギャラリーでは、
写真が“残されるもの”になるために
ある努力をされた写真家の方の展覧会を
開催しています。
松村勝 写真絵画展
~写真の美 後世に
湖国の四季~
4月9日(木)~4月29日(水・祝)

“写真を後世に残す”ことを目的として
「写真絵画」という独自のジャンルを
開拓された栗東市在住の写真家、
松村勝さんの作品展です。
また、今回は
「地元日野の方と何かコラボレーションしたい」
という松村さんの希望により、
日野町にお住まいの山本良秀さんが育てられている
貴重な石楠花の鉢植えが、
会場の随所を彩っています。

(左が松村さん、右が山本さんです)
まずはじめに、松村さんが生み出した
「写真絵画」とは何かをご説明します。
写真のデータを、特殊な顔料プリンタで
油絵のキャンバス地に印刷します。
印刷された写真は、そのままではニュアンスに欠け
印刷の粗い部分も存在します。
そこに絵筆を使い、手彩色で精密な補正を加え
立体感、色調の美しさ、輪郭の明晰さを
表現していきます。
この技術は松村さん独自のもの。
また、徳島県にある大塚美術館の陶板画
(世界のあらゆる名画を原寸大で陶板画にしている)
の作成には、松村さんの技術が用いられています。

(一見普通の写真のようですが・・・)

(フラッシュを正面からたくと、キャンバス地の凹凸がわかります)
「写真絵画」の仕上がりは、
キャンバス地に印刷されたとは
思えないほどの透明感と鮮やかさに満ちたもの。
しかし、どうして松村さんは
普通に写真をプリントするのではなく
このような方法をとられるのでしょうか。
(松村さん)「昔、カメラマンになった時に
言われたんですね。
『写真というのは、劣化するから
芸術品として美術館に置いてもらえません。
写真家になっても、自分の作品を
後世に残すことはできないのですよ』と。
そこで、劣化しない印刷物はないか考えたんです」
“「写真はコマーシャルでしかない」
と言われたんです”
と松村さんは言われます。
“今そのとき”“生のもの”を次々にとらえるのが、
写真に求められることであり、
まして「もの」として後世に残せないのなら
芸術品にはならない、と。
「どこの国の美術館でもだめです。
今、写真を収蔵している美術館は、
個人が建てた記念館などではないでしょうか」

正直なところ、このお話には驚きました。
書店や図書館の美術書のコーナーに行けば、
“芸術”として撮影され、また扱われているに違いない
素晴らしい写真集がたくさんあります。
それなのに、美術館に写真は収蔵されないとは。
また、写真家の方は現像もご自身でされるので、
現像の仕上げかた自体もその方の技術や
芸術的な表現だと思っていました…と、
松村さんにお伝えすると、
松村さんは、戦後の写真がたどってきた歴史を
説明してくださいました。
「昔はネガがあって、現像液を使ってそれを
印画紙に焼きつけていたわけです。
それは写真家がしていました。
今その方法は、コストが高くついてしまいます。
私は昭和38年に、18歳でカメラマンになりましたが
最初はガラスの感板写真、次に白黒フィルム、
その次がネガフィルム、ポジカラー、
そして最新がデジタルと、
65年の間に、像を写真として記録する方法は
5代も交代しているんです。
ほぼ10年に1度、変わっている計算です」
デジタル全盛の現在、
私達は自宅で簡単にできるはずの
写真のプリント作業の手間さえ
惜しむようになってしまいました。
「次はどうなっていくのか…とにかく
“もの”としての写真には将来がない。
そう思ったとき、
キャンバスにしたら、なくならないのではと
考えました。
キャンバス地なら、絵画のように修復ができます。
実際どうなるかはわかりませんが
100年後も残そうと思えば残っている可能性がある。」

この「写真絵画」の技術は
手彩色の部分に非常な精密さと根気を要するそうです。
薄い色を何層にも何層にも重ねて彩色することで
肉眼で捉える光の反射を自然なものにし、
写真のもつ、つややかな表面を保ちつつも、
被写体が立体的に見える効果を生み出します。
まさにヨーロッパの古い絵画の修復のような作業。
そんな大変な工程をへてまで、
“100年後も残るものにしたい”
との思いをかけられる写真には
いったい何が写されているのでしょうか。
「後世に残すモチーフとしては
自然環境をね、これは永遠ではないものですから。
自分の住んでいる滋賀県の四季の風景を
最大限残そうと考えたんです。
そう決めたからには、
まずいい作品を撮らなければなりません」
“残すための写真”にふさわしい
その一瞬がやってくるのを求めて
写真家としての松村さんもまた、あらゆる努力を
撮影に注ぎ込まれます。
私達にはなじみ深く思われる風景の中に
最上の光と構図を求め、必要な情報収集をし、
高所からのアングルが必要であれば
脚立にも乗り続け、
気が遠くなるほどに時間をかけて
ベストの写真を撮影されているそうです。

(「この紫陽花の風景、ここもすでに変わってしまっているんですよ。この写真の通りの景色はもう存在しないんです」と、松村さんの奥様が教えてくださいました)

(「たとえばこのコハクチョウの写真、普通はこんな位置から撮れないんですよ。近づけない。どうやって撮ったと思いますか?“コハクチョウを守る会” の会長になったんです(笑)」と、松村さん。)
“写真を後世に残すこと”に
大きなエネルギーを費やしてこられた
松村さん。
お話をお伺いしながら、いったい何が
松村さんを動かして
ここまでのお仕事をさせるのか…と
考えていました。
「“写真絵画”の技術開発には10年かかり、
身の回りのことが、やっと10年前ぐらいから
落ち着いてきました。
私は高いレベルの教育を受けていません。
もしそういうものがあれば、
他に人生の選択肢もあったかもしれないから、
きっと写真に対してここまでしていない。
自分のやることはこれと決めているからです。
“こんなこと”に自分の人生をかけられる人間は
他にいないと思いますから。」
“こんなことに人生をかけられる人間は
他にいないと思う”
と、仰る言葉が心に残りました。
「もし若い人が、何かでこういうこと
(「写真を残すこと」)が必要になったとき、
誰か、前にやった人がいて、方法が残っていると
非常にやりやすいと思うんです。
僕はいつまでも生きるわけじゃありませんから
(若い人のための)足跡をつけているというか」
今回賛助出品として展示してくださった
山本良秀さんの鉢植えを眺めながら
松村さんは仰いました。
「石楠花は咲くのに10年かかるそうですね。
僕と同じですね」

ヨーロッパには、
古いものを残していく文化があるといいます。
人々は何百年も前の建物や絵画を修復する
技術を学び、若い世代に受け継いでいます。
もちろん日本にもそういった修復の技術は
ありますが、
“後世に受け継いでいく精神”の面で
ヨーロッパの方がゆるぎないものを
持っているように思われます。
その精神とは、一言で言うと
「これを未来に手渡すのは自分だ」
という自覚を、一人ひとりが持っている
ということに、尽きるのではないでしょうか。

美しい風景の写真を眺めながら、
自分自身にとっての
「後世に残したいもの」は何なのかに
思いを巡らせたくなる展覧会です。
石楠花も美しく咲いていますので、
ぜひ一度、ご来場ください。
(4月14日(火)・21日(火)・28日(火)は休館日です)

今年の桜は存分に楽しまれたでしょうか?
近年目にする光景ですが、
大きな街の、人の集まる場所で桜が咲くと
私達日本人と同様に、かなりの数の外国の方が
スマートフォンで撮影をされたりしています。
前に、日本に住む外国人の知人が
「春になると桜が綺麗だから、日本は最高だ」
と言っていました。
毎年、春先のこの季節、
私達は最高の場所で暮らしているのですね

さて、そんな綺麗な桜の一瞬の美を閉じ込めて
好きなときに眺めるための道具、
それが写真です。
現在、わたむき美術ギャラリーでは、
写真が“残されるもの”になるために
ある努力をされた写真家の方の展覧会を
開催しています。
松村勝 写真絵画展
~写真の美 後世に
湖国の四季~
4月9日(木)~4月29日(水・祝)
“写真を後世に残す”ことを目的として
「写真絵画」という独自のジャンルを
開拓された栗東市在住の写真家、
松村勝さんの作品展です。
また、今回は
「地元日野の方と何かコラボレーションしたい」
という松村さんの希望により、
日野町にお住まいの山本良秀さんが育てられている
貴重な石楠花の鉢植えが、
会場の随所を彩っています。

(左が松村さん、右が山本さんです)
まずはじめに、松村さんが生み出した
「写真絵画」とは何かをご説明します。
写真のデータを、特殊な顔料プリンタで
油絵のキャンバス地に印刷します。
印刷された写真は、そのままではニュアンスに欠け
印刷の粗い部分も存在します。
そこに絵筆を使い、手彩色で精密な補正を加え
立体感、色調の美しさ、輪郭の明晰さを
表現していきます。
この技術は松村さん独自のもの。
また、徳島県にある大塚美術館の陶板画
(世界のあらゆる名画を原寸大で陶板画にしている)
の作成には、松村さんの技術が用いられています。

(一見普通の写真のようですが・・・)

(フラッシュを正面からたくと、キャンバス地の凹凸がわかります)
「写真絵画」の仕上がりは、
キャンバス地に印刷されたとは
思えないほどの透明感と鮮やかさに満ちたもの。
しかし、どうして松村さんは
普通に写真をプリントするのではなく
このような方法をとられるのでしょうか。
(松村さん)「昔、カメラマンになった時に
言われたんですね。
『写真というのは、劣化するから
芸術品として美術館に置いてもらえません。
写真家になっても、自分の作品を
後世に残すことはできないのですよ』と。
そこで、劣化しない印刷物はないか考えたんです」
“「写真はコマーシャルでしかない」
と言われたんです”
と松村さんは言われます。
“今そのとき”“生のもの”を次々にとらえるのが、
写真に求められることであり、
まして「もの」として後世に残せないのなら
芸術品にはならない、と。
「どこの国の美術館でもだめです。
今、写真を収蔵している美術館は、
個人が建てた記念館などではないでしょうか」

正直なところ、このお話には驚きました。
書店や図書館の美術書のコーナーに行けば、
“芸術”として撮影され、また扱われているに違いない
素晴らしい写真集がたくさんあります。
それなのに、美術館に写真は収蔵されないとは。
また、写真家の方は現像もご自身でされるので、
現像の仕上げかた自体もその方の技術や
芸術的な表現だと思っていました…と、
松村さんにお伝えすると、
松村さんは、戦後の写真がたどってきた歴史を
説明してくださいました。
「昔はネガがあって、現像液を使ってそれを
印画紙に焼きつけていたわけです。
それは写真家がしていました。
今その方法は、コストが高くついてしまいます。
私は昭和38年に、18歳でカメラマンになりましたが
最初はガラスの感板写真、次に白黒フィルム、
その次がネガフィルム、ポジカラー、
そして最新がデジタルと、
65年の間に、像を写真として記録する方法は
5代も交代しているんです。
ほぼ10年に1度、変わっている計算です」
デジタル全盛の現在、
私達は自宅で簡単にできるはずの
写真のプリント作業の手間さえ
惜しむようになってしまいました。
「次はどうなっていくのか…とにかく
“もの”としての写真には将来がない。
そう思ったとき、
キャンバスにしたら、なくならないのではと
考えました。
キャンバス地なら、絵画のように修復ができます。
実際どうなるかはわかりませんが
100年後も残そうと思えば残っている可能性がある。」

この「写真絵画」の技術は
手彩色の部分に非常な精密さと根気を要するそうです。
薄い色を何層にも何層にも重ねて彩色することで
肉眼で捉える光の反射を自然なものにし、
写真のもつ、つややかな表面を保ちつつも、
被写体が立体的に見える効果を生み出します。
まさにヨーロッパの古い絵画の修復のような作業。
そんな大変な工程をへてまで、
“100年後も残るものにしたい”
との思いをかけられる写真には
いったい何が写されているのでしょうか。
「後世に残すモチーフとしては
自然環境をね、これは永遠ではないものですから。
自分の住んでいる滋賀県の四季の風景を
最大限残そうと考えたんです。
そう決めたからには、
まずいい作品を撮らなければなりません」
“残すための写真”にふさわしい
その一瞬がやってくるのを求めて
写真家としての松村さんもまた、あらゆる努力を
撮影に注ぎ込まれます。
私達にはなじみ深く思われる風景の中に
最上の光と構図を求め、必要な情報収集をし、
高所からのアングルが必要であれば
脚立にも乗り続け、
気が遠くなるほどに時間をかけて
ベストの写真を撮影されているそうです。

(「この紫陽花の風景、ここもすでに変わってしまっているんですよ。この写真の通りの景色はもう存在しないんです」と、松村さんの奥様が教えてくださいました)

(「たとえばこのコハクチョウの写真、普通はこんな位置から撮れないんですよ。近づけない。どうやって撮ったと思いますか?“コハクチョウを守る会” の会長になったんです(笑)」と、松村さん。)
“写真を後世に残すこと”に
大きなエネルギーを費やしてこられた
松村さん。
お話をお伺いしながら、いったい何が
松村さんを動かして
ここまでのお仕事をさせるのか…と
考えていました。
「“写真絵画”の技術開発には10年かかり、
身の回りのことが、やっと10年前ぐらいから
落ち着いてきました。
私は高いレベルの教育を受けていません。
もしそういうものがあれば、
他に人生の選択肢もあったかもしれないから、
きっと写真に対してここまでしていない。
自分のやることはこれと決めているからです。
“こんなこと”に自分の人生をかけられる人間は
他にいないと思いますから。」
“こんなことに人生をかけられる人間は
他にいないと思う”
と、仰る言葉が心に残りました。
「もし若い人が、何かでこういうこと
(「写真を残すこと」)が必要になったとき、
誰か、前にやった人がいて、方法が残っていると
非常にやりやすいと思うんです。
僕はいつまでも生きるわけじゃありませんから
(若い人のための)足跡をつけているというか」
今回賛助出品として展示してくださった
山本良秀さんの鉢植えを眺めながら
松村さんは仰いました。
「石楠花は咲くのに10年かかるそうですね。
僕と同じですね」

ヨーロッパには、
古いものを残していく文化があるといいます。
人々は何百年も前の建物や絵画を修復する
技術を学び、若い世代に受け継いでいます。
もちろん日本にもそういった修復の技術は
ありますが、
“後世に受け継いでいく精神”の面で
ヨーロッパの方がゆるぎないものを
持っているように思われます。
その精神とは、一言で言うと
「これを未来に手渡すのは自分だ」
という自覚を、一人ひとりが持っている
ということに、尽きるのではないでしょうか。

美しい風景の写真を眺めながら、
自分自身にとっての
「後世に残したいもの」は何なのかに
思いを巡らせたくなる展覧会です。
石楠花も美しく咲いていますので、
ぜひ一度、ご来場ください。
(4月14日(火)・21日(火)・28日(火)は休館日です)
2015年03月21日
【開催中】ぱふ ワイヤークラフト展
みなさん、こんにちは!
春ですね
。気温が上がるのにきっちり比例して、
外を行く人々の服装がカラフルになるのが楽しいです。
「寒の戻り」というものもありますが、
多少戻ってもそのうち必ず暖かい日がやってくる。
そう思えるだけでなんだか心強いですよね。
そんな気持ちのいい春の日に、
ぜひわたむきホール虹まで足を伸ばして
ご覧になっていただきたい展覧会が
現在、美術ギャラリーにて開催中です。
ぱふ ワイヤークラフト展
~湖国の風景・異国の風景~
ワイヤーで風景を描きました~
3月19日(木)~4月5日(日)

アイアンワイヤー(鉄ワイヤー)の特性と質感をいかし、
ワイヤーの線で印象的な風景や植物などを描いた作品を
制作する作家、「ぱふ」さんの展覧会です。
そして今回は賛助出品として、
2002年にこの美術ギャラリーに出展いただいた
澤井泉源(さわいせんげん)さん制作の
“古材で作った家具”も同時にご覧いただけます。
「ぱふ」さんと澤井さんのお写真はこちら

(右が「ぱふ」さん、左が澤井さん。澤井さん制作のテーブルセットで談笑中)
まずは「ぱふ」さんに、
大人の女性の心を間違いなく一瞬でつかんでしまう
素敵なワイヤークラフト作品についてお話を伺いました。
ちなみに、「ぱふ」さんは作家活動の際のお名前を
「ぱふ」で統一していらっしゃるので、
記事中でも「ぱふ」さんとお呼びいたします。
また、「ぱふ」さんはこのわたむきブログと同じ
滋賀咲くブログに近況を綴られています。
ギャラリーに来られる予定も掲載されていますので
こちらもぜひのぞいてください!
Paf's WIRE★CRAFT
http://paf.shiga-saku.net/
―本当に可愛い作品ですね…。
「ぱふ」さんの作家活動としては、
“ワイヤーで風景を描いた作品を制作されている”
で、よろしいんでしょうか。―
「ぱふ」さん「はい、ワイヤーで風景を作っています。
今回は日野町での展示ということで、
『日野の風景』を作ってみたんです」
―あっ、綿向(わたむき)山ですね。-

「そうなんです。
それと、ここが“わたむきホール虹”なので
虹を入れました」
ワイヤーの線だけで日野町のシンボル“綿向山”、
そして“虹”まで描けてしまうことと、
何気ないようでいて細部まで美しく仕上げられた
作品のたたずまいに見入ってしまうばかりです。
でも、どうして「ワイヤーで風景」を?
「最初は盆栽用のアルミワイヤーで
カゴなどを作っていたんですね。
それが、あるとき鉄の細いワイヤーに出会ったことで
風景の額を作るようになったんです」
鉄のワイヤーを触っているうちに「ぱふ」さんはふと、
“あ、これで木を作ってみたいな”と
思われたのだそうです。
ワイヤーで何かを作られる方の中には
溶接技術を使う方もいらっしゃるそうですが、
「ぱふ」さんは「ペンチ1本で作りたいなと思って」。

―でも面白いですね。「線」で何かを表現したいと
思うとき、例えばドローイング(線描)を選ばれる
方もいらっしゃいますし…-
「あっ、私はもう『ワイヤーありき』なので。
ワイヤーがあって、何かを作ってみたいと感じるんです。
私は絵心はないんですけど、
ワイヤーを使うと、自分の思ったものが描ける。
ワイヤーで絵を描くように描いてみたくて」
今回「ぱふ」さんは、「季節の額」と題し、
12ヶ月をそれぞれの季節の植物などで表現した
小さな額のシリーズを出展してくださっています。
「植物の葉っぱや花の質感も、
ワイヤーで描くことによって、
思ったものが出せる気がするんですね」

「ぱふ」さんのお話には
「ワイヤーありき」「ワイヤーで描くことによって」
と、何度も“ワイヤーという素材”のことが
登場します。
土、木、布、ガラス…世の中には様々な
“素材”がありますが、
ある1つの素材と、作家の方の出会いとは
本当に不思議なものです。
“その素材でないと、思う作品が作れない”
というのは
創作という行為が秘める、ひとつの神秘だと思います。
―(仕上がりを決め、目的に沿って作るというよりは)
ワイヤーをなんとなく触っているうちに、
いろいろアイデアが出てくるという感じですか?-
「そうです。あの、やってみてください(笑)
本当に楽しいですから」

(これは、もともとカゴにしようと作りはじめ、途中で「雪の結晶」になった作品だそうです)
ところで、すでに見てきた作品の中に
ところどころ登場し、ワイヤーの造形物を
支えている“木の枠”。
これはもちろん…。
「木枠は、澤井泉源さんの作品です。
ある展覧会をきっかけに古木との出会いがあり
そのときから澤井さんとのつながりも生まれました」
「ぱふ」さんにとっては自在な素材であるワイヤーも
それだけしか使わない表現にはやはり限界があります。
古木はアイアンワイヤーの持つ質感にすっと馴染み、
同時に「ぱふ」さんの作品世界を
豊かに広げてくれるものだったそうです。
「このへんのオブジェ作品の木は、澤井さんが
『もう薪にくべるけど、欲しかったら取りに来い』って
言ってくださったのを急いで取りにいったもので(笑)」


「古材を見て場面が浮かんできたりもするんですね。
“物語のある風景”だと私は思っているんですけど」
―見る人がそれぞれに思う“物語”を
重ねやすい作品だと感じます―
「そうですね、色とかがないから
見た人が自由に思いを重ねてもらえるのかも
しれません」
古材の話が出てきたところで、
ぜひ澤井さんにもお話を…、と仰る「ぱふ」さん。
なごやかにインタビューの交代が行われます。
澤井さん「あんまり難しいこと聞かんといてや」
―お聞きしません(笑)
…普段の制作としては、ここにあるもののように、
古材で家具などを作られているのでしょうか―

「まあ、そうやな。
“人が使っていた外にあるもの”の古材。
中にあるものじゃなくて。
(外に置いてあって使い込まれたものの)
汚い感じが好きなんです」
澤井さんのお家はもともと、茶道で使用する道具を
作られていたそうで、
その道具の中に、舟板の古材をほぼそのまま使用した
“舟板結界”というものがあり、
昔から、「古い舟板」が身近なものだったそうです。
「外にあるものって、雨やらいろいろなものに
さらされるから、いい材料で作られてるんやね」
また、銅管や銅板などの古い金属も収集され、
作品の中で使われています。

(ペン立てへと生まれ変わった銅管。こんな机の上で仕事ができたら…)
「屋根の古い樋(とい)とかな、銅板や。
材料探しが一番大変。
外にさらされているもの…畑の端の板とか
(土を止めるために立ててある板のこと、でしょうか)
田んぼのところの川に渡してある板とか…」
―そういったものを見かけたら、
もしいらないのなら、譲ってほしいと
直接交渉される…―
「そうそう。だから大変」
今回、澤井さんはたくさんの「いすと机」を
ギャラリーに置いてくださいました。
「いすは座ってもらわなわからへんから、
ぜひ、いろんな人に座ってほしい。
人に座ってもらったり、さわってもらったりしたら
ものに艶も出てくるし」
古材のいすや机の木目に触れているうちに
自分が知る、「木で作られたもの」のことが
いくつも頭に浮かんできました。
明治の西洋建築だった小学校の校舎や
7月5日にわたむきホール虹で開催する
「オーケストラ・ムジカ・チェレステ演奏会」で
ソリストの鈴木舞さんが使用される
“17世紀のヴァイオリン”のこと…。
思いついたままにお話ししたことに
澤井さんは興味深く耳を傾けてくださり、
こんなふうに仰いました。
「ものは、使われなあかんからね」

それぞれに違う素材を使って、
形も用途も異なる作品を制作されている
「ぱふ」さんと澤井泉源さん。
しかしお2人の世界は、
それとは気付かないさりげなさで、
とてもよく似た響きを奏でているようです。
ワイヤーと古材、どちらもそのままでは
“用をなさなければかえりみられない”
ものかもしれませんが、
素材の美しさと可能性を見抜いた作家の手で
何かに作り変えられたとき、
「とても大切なもの」へ価値が大きく転換します。
人が手で何かをつくること、
そうして作られた何かを大切にすること、
暮らしを良くするのはまさにその2つなのだと、
あらためて感じる展覧会です。
どうぞ、会場にてゆっくりとお過ごしください。

(会場にはワイヤーとペンチが置かれています。澤井さんのテーブルセットに腰掛けて、ワイヤーでいろいろな形を作ってみてください!)
(3月22日(日)・24日(火)・31日(火) 4月3日(金)は休館日です)
春ですね

外を行く人々の服装がカラフルになるのが楽しいです。
「寒の戻り」というものもありますが、
多少戻ってもそのうち必ず暖かい日がやってくる。
そう思えるだけでなんだか心強いですよね。
そんな気持ちのいい春の日に、
ぜひわたむきホール虹まで足を伸ばして
ご覧になっていただきたい展覧会が
現在、美術ギャラリーにて開催中です。
ぱふ ワイヤークラフト展
~湖国の風景・異国の風景~
ワイヤーで風景を描きました~
3月19日(木)~4月5日(日)
アイアンワイヤー(鉄ワイヤー)の特性と質感をいかし、
ワイヤーの線で印象的な風景や植物などを描いた作品を
制作する作家、「ぱふ」さんの展覧会です。
そして今回は賛助出品として、
2002年にこの美術ギャラリーに出展いただいた
澤井泉源(さわいせんげん)さん制作の
“古材で作った家具”も同時にご覧いただけます。
「ぱふ」さんと澤井さんのお写真はこちら

(右が「ぱふ」さん、左が澤井さん。澤井さん制作のテーブルセットで談笑中)
まずは「ぱふ」さんに、
大人の女性の心を間違いなく一瞬でつかんでしまう
素敵なワイヤークラフト作品についてお話を伺いました。
ちなみに、「ぱふ」さんは作家活動の際のお名前を
「ぱふ」で統一していらっしゃるので、
記事中でも「ぱふ」さんとお呼びいたします。
また、「ぱふ」さんはこのわたむきブログと同じ
滋賀咲くブログに近況を綴られています。
ギャラリーに来られる予定も掲載されていますので
こちらもぜひのぞいてください!

Paf's WIRE★CRAFT
http://paf.shiga-saku.net/
―本当に可愛い作品ですね…。
「ぱふ」さんの作家活動としては、
“ワイヤーで風景を描いた作品を制作されている”
で、よろしいんでしょうか。―
「ぱふ」さん「はい、ワイヤーで風景を作っています。
今回は日野町での展示ということで、
『日野の風景』を作ってみたんです」
―あっ、綿向(わたむき)山ですね。-

「そうなんです。
それと、ここが“わたむきホール虹”なので
虹を入れました」
ワイヤーの線だけで日野町のシンボル“綿向山”、
そして“虹”まで描けてしまうことと、
何気ないようでいて細部まで美しく仕上げられた
作品のたたずまいに見入ってしまうばかりです。
でも、どうして「ワイヤーで風景」を?
「最初は盆栽用のアルミワイヤーで
カゴなどを作っていたんですね。
それが、あるとき鉄の細いワイヤーに出会ったことで
風景の額を作るようになったんです」
鉄のワイヤーを触っているうちに「ぱふ」さんはふと、
“あ、これで木を作ってみたいな”と
思われたのだそうです。
ワイヤーで何かを作られる方の中には
溶接技術を使う方もいらっしゃるそうですが、
「ぱふ」さんは「ペンチ1本で作りたいなと思って」。

―でも面白いですね。「線」で何かを表現したいと
思うとき、例えばドローイング(線描)を選ばれる
方もいらっしゃいますし…-
「あっ、私はもう『ワイヤーありき』なので。
ワイヤーがあって、何かを作ってみたいと感じるんです。
私は絵心はないんですけど、
ワイヤーを使うと、自分の思ったものが描ける。
ワイヤーで絵を描くように描いてみたくて」
今回「ぱふ」さんは、「季節の額」と題し、
12ヶ月をそれぞれの季節の植物などで表現した
小さな額のシリーズを出展してくださっています。
「植物の葉っぱや花の質感も、
ワイヤーで描くことによって、
思ったものが出せる気がするんですね」

「ぱふ」さんのお話には
「ワイヤーありき」「ワイヤーで描くことによって」
と、何度も“ワイヤーという素材”のことが
登場します。
土、木、布、ガラス…世の中には様々な
“素材”がありますが、
ある1つの素材と、作家の方の出会いとは
本当に不思議なものです。
“その素材でないと、思う作品が作れない”
というのは
創作という行為が秘める、ひとつの神秘だと思います。
―(仕上がりを決め、目的に沿って作るというよりは)
ワイヤーをなんとなく触っているうちに、
いろいろアイデアが出てくるという感じですか?-
「そうです。あの、やってみてください(笑)
本当に楽しいですから」

(これは、もともとカゴにしようと作りはじめ、途中で「雪の結晶」になった作品だそうです)
ところで、すでに見てきた作品の中に
ところどころ登場し、ワイヤーの造形物を
支えている“木の枠”。
これはもちろん…。
「木枠は、澤井泉源さんの作品です。
ある展覧会をきっかけに古木との出会いがあり
そのときから澤井さんとのつながりも生まれました」
「ぱふ」さんにとっては自在な素材であるワイヤーも
それだけしか使わない表現にはやはり限界があります。
古木はアイアンワイヤーの持つ質感にすっと馴染み、
同時に「ぱふ」さんの作品世界を
豊かに広げてくれるものだったそうです。
「このへんのオブジェ作品の木は、澤井さんが
『もう薪にくべるけど、欲しかったら取りに来い』って
言ってくださったのを急いで取りにいったもので(笑)」


「古材を見て場面が浮かんできたりもするんですね。
“物語のある風景”だと私は思っているんですけど」
―見る人がそれぞれに思う“物語”を
重ねやすい作品だと感じます―
「そうですね、色とかがないから
見た人が自由に思いを重ねてもらえるのかも
しれません」
古材の話が出てきたところで、
ぜひ澤井さんにもお話を…、と仰る「ぱふ」さん。
なごやかにインタビューの交代が行われます。
澤井さん「あんまり難しいこと聞かんといてや」
―お聞きしません(笑)
…普段の制作としては、ここにあるもののように、
古材で家具などを作られているのでしょうか―

「まあ、そうやな。
“人が使っていた外にあるもの”の古材。
中にあるものじゃなくて。
(外に置いてあって使い込まれたものの)
汚い感じが好きなんです」
澤井さんのお家はもともと、茶道で使用する道具を
作られていたそうで、
その道具の中に、舟板の古材をほぼそのまま使用した
“舟板結界”というものがあり、
昔から、「古い舟板」が身近なものだったそうです。
「外にあるものって、雨やらいろいろなものに
さらされるから、いい材料で作られてるんやね」
また、銅管や銅板などの古い金属も収集され、
作品の中で使われています。

(ペン立てへと生まれ変わった銅管。こんな机の上で仕事ができたら…)
「屋根の古い樋(とい)とかな、銅板や。
材料探しが一番大変。
外にさらされているもの…畑の端の板とか
(土を止めるために立ててある板のこと、でしょうか)
田んぼのところの川に渡してある板とか…」
―そういったものを見かけたら、
もしいらないのなら、譲ってほしいと
直接交渉される…―
「そうそう。だから大変」
今回、澤井さんはたくさんの「いすと机」を
ギャラリーに置いてくださいました。
「いすは座ってもらわなわからへんから、
ぜひ、いろんな人に座ってほしい。
人に座ってもらったり、さわってもらったりしたら
ものに艶も出てくるし」
古材のいすや机の木目に触れているうちに
自分が知る、「木で作られたもの」のことが
いくつも頭に浮かんできました。
明治の西洋建築だった小学校の校舎や
7月5日にわたむきホール虹で開催する
「オーケストラ・ムジカ・チェレステ演奏会」で
ソリストの鈴木舞さんが使用される
“17世紀のヴァイオリン”のこと…。
思いついたままにお話ししたことに
澤井さんは興味深く耳を傾けてくださり、
こんなふうに仰いました。
「ものは、使われなあかんからね」

それぞれに違う素材を使って、
形も用途も異なる作品を制作されている
「ぱふ」さんと澤井泉源さん。
しかしお2人の世界は、
それとは気付かないさりげなさで、
とてもよく似た響きを奏でているようです。
ワイヤーと古材、どちらもそのままでは
“用をなさなければかえりみられない”
ものかもしれませんが、
素材の美しさと可能性を見抜いた作家の手で
何かに作り変えられたとき、
「とても大切なもの」へ価値が大きく転換します。
人が手で何かをつくること、
そうして作られた何かを大切にすること、
暮らしを良くするのはまさにその2つなのだと、
あらためて感じる展覧会です。
どうぞ、会場にてゆっくりとお過ごしください。

(会場にはワイヤーとペンチが置かれています。澤井さんのテーブルセットに腰掛けて、ワイヤーでいろいろな形を作ってみてください!)
(3月22日(日)・24日(火)・31日(火) 4月3日(金)は休館日です)